過ぎたるは戦国歴史まとめ

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    今川氏真

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    1: \(^o^)/ 2014/08/15(金) 20:13:12.68 ID:ayS5hi1+0.net BE:218927532-PLT(12121) ポイント特典
    ・江戸時代に流布していた戦国三大愚人とは?
    江戸時代に書かれた軍記物のなかでは、細川政元、大内義隆、今川氏真が、戦国期の三大愚人にあげられている。

    細川政元は、戦国初期に活躍した人物。室町幕府を支える幕府管領家のひとつ細川京兆家の嫡男として 文正元年(1466)に生まれた。「半将軍」とまで呼ばれるほどであった。

    外交・内政に辣腕を振るった政元だったが、いつしか政務を疎かにして修験道に没頭するようになっていった。 修験道とは苛烈な修行を行ない人智を超えた能力を持つことを目的とする。 現代的にいえば、仙人とか魔法使いになるための修行に邁進したということ。

    そのうえ政元は生涯妻帯しなかったため、嫡子がいなかった。
    政元の死後、養子たちの争いはエスカレートし、各地の有力守護大名を巻き込んで、騒乱が拡大。 戦国大名が誕生する萌芽となっていった。どう考えてもハタ迷惑な人物である。

    ・趣味に埋没し武を怠ったと批判された義隆と氏真
    大内義隆は長門、周防、安芸、石見、筑前、豊前の6ヶ国を領する大大名であった。
    義隆は内政面には優れた面を見せたが、武略に関しては平凡としかいえなかった。
    一方文化人としては、荒廃した京から逃げてきた文人たちを手厚く庇護。戦乱で失なわれたかもしれない文化や 伝統を継承する立場を取った。ところが江戸幕府成立後は、質実剛健を武士の本文とする風潮があったため、 文化を重んじていた義隆は華美惰弱に溺れた愚将という評価を受けることとなってしまったのだ。

    同様に文化に溺れた惰弱な武将として、非難の対象となったのが今川氏真である。
    氏真は酒色(色は男性方面)に溺じ、実権は老臣・三浦氏が掌握。これに家臣が反発し、家中はまとまらなかった。 氏真は連歌、和歌に秀で、特に蹴鞠は名人級であった。いわば今でいうサッカー馬鹿であったのだ。

    居館である駿府館ではたびたび蹴鞠の会が催されていたと伝わる。静岡県民のサッカー熱が高いのは氏真の遺産であろう、多分。 先にあげた細川政元、大内義隆と比べると、その暗愚ぶりは飛び抜けている。

    http://news.livedoor.com/article/detail/9151118/

    2: \(^o^)/ 2014/08/15(金) 20:14:18.64 ID:KC1dkjZ70.net
    大内義隆は天下統一で伸びてくることあるぞ

    4: \(^o^)/ 2014/08/15(金) 20:14:47.65 ID:VLMTxoaM0.net
    一条兼定

    【江戸時代に流布していた戦国三大愚人は細川政元、大内義隆、今川氏真らしい】の続きを読む

    012


    1: 名無し募集中 2018/05/05(土) 15:26:35.60 0
    どうなったの?

    3: 名無し募集中 2018/05/05(土) 15:31:43.78 0
    上洛でなく今川寄りの豪族と
    織田家の争いに介入したよくある争いだったそうだぞ

    4: 名無し募集中 2018/05/05(土) 15:32:27.79 0
    静岡が日本の首都になってた

    【今川義元があのまま上洛してたら 】の続きを読む

    smile


    1: 名無し募集中 2017/04/17(月) 17:46:20.00 0.net
    大河は勉強になるな
    おんな城主 直虎 完全版 第参集 [Blu-ray]





    2: 名無し募集中 2017/04/17(月) 17:50:11.73 0.net
    滅亡したよ
    だけど絶滅したわけではない
    滅亡って物理的に消え去ったことを意味するわけじゃないからね

    3: 名無し募集中 2017/04/17(月) 17:56:02.20 0.net
    氏真という戦より蹴鞠の上手な後継者がいてな

    【今川って桶狭間で滅亡したと思ってたけどちがうんだな】の続きを読む

    tai014


    1: 風吹けば名無し 2015/10/16(金) 12:39:32.55 ID:7+kFZEVIa.net
    義元は輿を捨て300騎の親衛隊に周りを囲まれながら騎馬で退却しようとしたが、
    度重なる攻撃で周囲の兵を失い、ついには信長の馬廻に追いつかれる。
    義元は服部一忠を返り討ちにしたが、毛利良勝によって組み伏せられ、討ち取られた。
    『改正三河後風土記』によれば、義元は首を討たれる際、毛利の左指を喰い切ったという。



    化け物やないか…

    2: 風吹けば名無し 2015/10/16(金) 12:41:58.11 ID:pIkentGd0.net
    何だかんだで大名よ

    3: 風吹けば名無し 2015/10/16(金) 12:42:18.31 ID:xaSLsRaU0.net
    死ぬときはそら必死やろ

    【今川義元の死に際凄すぎwwww】の続きを読む

    C6JwHRuU0AEJnLz


    1: 風吹けば名無し 2017/01/03(火) 20:26:12.67 ID:J/qv+WhX0.net
    鬱end

    2: 風吹けば名無し 2017/01/03(火) 20:26:42.28 ID:dOnsUdn+r.net
    1560年からスタート

    3: 風吹けば名無し 2017/01/03(火) 20:27:03.74 ID:FGIST1XE0.net
    眉毛剃るシーンで笑いを取ってくる

    【大河ドラマ『今川義元』にありがちなことwwwww】の続きを読む

    ______


    1: 名無しのひみつ 2017/12/02(土) 20:03:34.14 ID:CAP_USER
    アーリーリタイア(早期リタイア)という生き方があります。定年を待たずに、早い人は20代で会社勤めを辞め、 第2の人生を選ぶ生活のことです。 

    歴史に目を移せば、戦国大名としては滅亡しましたが、文化人として生き延びた戦国武将がいます。 
    それが、桶狭間の戦いで敗れた今川義元の息子である今川氏真です。 義元の死後、氏真なりに領国経営に乗り出しますが、武田信玄と徳川家康の挟み撃ちにあい、もはやこれまでという窮地に陥ります。 それでもさまざまなパイプを活かし、各地を転々として、ある時は、かつての部下である家康に頭を下げ、家臣になり、 またある時は父を殺した織田信長の前で蹴鞠(けまり)をあざやかに披露。

    政治の世界では成功しませんでしたが、 人脈と豊富なノウハウでセカンドライフを楽しみます。これまでの歴史的な考え方では、 「今川氏を滅亡させた愚かな君主」というのが一般的でしたが、 現在で言うアーリーリタイアの生き方を戦国の世で体現したまれな人物として再評価する声があがっています。 今回、戦国史が専門で、今川氏の研究に詳しい駒澤大学文学部の久保田昌希教授に、 氏真の人生を元に現在に生きる知恵について話をうかがいました。 

    〈義元の弔い合戦をせずに経営に乗りだす〉 

    今川氏真の戦国大名としての評価は「愚かな君主」のイメージでしたが、 その後、今川氏を存続させるための処世術は再評価がなされています。 

    〈久保田昌希(以下、久保田)〉 今川氏真の人生は、本人自身が納得したかどうかは分りません。 
    ただ、戦国時代の周辺の勢力図には、織田信長、武田信玄、上杉謙信などがおり、 戦国大名として今川氏を存続することは無理だったと思います。 父・義元から見ると劣りますが、一方優れた処世術は持っていました。 

    ――氏真の内政はいかがだったでしょう。 

    〈久保田〉 永禄元年(1558年)に氏真の文書がはじめて発給されます。 特に神社に対する流鏑馬銭等の徴収を安堵する内容で、これは当主の権限でした。 この頃から、駿河国・遠江国(現静岡県)の経営が氏真に任されていきました。 

    ――義元の死後、氏真の動向はあまりクローズアップされていません。 

    〈久保田〉 義元の死後、織田を打倒するため弔い合戦をするのではなく、領国の経営に乗り出します。 これは理由があり、桶狭間の戦いで戦死した武将も多く、その家ごとにショックを抱えていましたから、 まず安定を考えていたのでしょう。桶狭間の戦いが永禄3年(1560年)ですから、 その後、氏真名義での文書が当然多く発給されます。 

    大河ドラマの『おんな城主 直虎』でやりました「井伊谷徳政令」の話ですが、 あれは、井伊谷や井伊氏をつぶしたいがために徳政令を発令したのではないと考えています。 氏真は徳政令を出することで徳のある政治を行いたいという考え方を持っていたのではないでしょうか。

    ただそうなると金貸しはたまったものではありませんので、徳政令に従った金貸しには、 
    損だけさせるのではなく特権商人としての地位を認めるなど、バランスの取れた政治も行なっていました。 ちなみに、徳政令は、個別に義元も出しています。 ほかには、富士大宮楽市も行い、信長より一歩先んじて、当時の楽市楽座政策に影響を与えたと思われます。 そういう意味でも悪政を強いたわけではありません。 

    続きはソースで 

    関連ソース画像 
    https://s.eximg.jp/exnews/feed/Smadan/smadan_lifehack/2017/E1510305047667_6f7c_1.jpg

    エキサイトニュース 
    https://www.excite.co.jp/News/smadan/E1510305047667/

    18: 名無しのひみつ 2017/12/02(土) 21:18:01.75 ID:RnRf+GAR
    >>1
    義元の再評価はあってもいいと思うが、氏真を評価するのは無理だろ。
    親父を殺した信長の前で蹴鞠を披露した、という時点で、あの時代の精神からして、
    周囲からどんだけ軽蔑されてもおかしくない人物だと思う。

    歌道の教養は身につけていたが、自身が詠んだ歌はどれも平凡なものだったというし、
    三流の人物が、三流の人生を送った、というだけのことだろう。

    変な新解釈はやめたほうがいい。

    22: 名無しのひみつ 2017/12/02(土) 21:53:06.31 ID:dRkN27mI
    >>18
    ホントに無能なら今川家は滅亡してるだろ
    どんな方面に才能があるか、そしてそれを活かす才覚があるか
    って話だよ、アホ
    自分は戦国武将のスキルが無いと自覚するのも、それはそれで利口じゃ無きゃ出来ないんだよ

    【再評価される今川氏真(今川義元の嫡男)の処世術 戦国時代にアーリーリタイアを実現 】の続きを読む

    Bishū_Okehazama-gassen


    1: 名無しさん@おーぷん 2015/06/08(月)15:58:23 ID:GIO
    織田家終わってたのん?

    2: 名無しさん@おーぷん 2015/06/08(月)15:59:41 ID:0el
    歴史に「もし」は禁句やで

    3: 名無しさん@おーぷん 2015/06/08(月)16:00:44 ID:W4X
    「もし」を考えるのが楽しいんやで
     
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