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戦国時代の流れをクッソ適当に書く (室町~小田原征伐・九州征伐)


82: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)15:00:32 ID:hAN
⑮奥州仕置
伊達政宗、どさくさにまぎれて秀吉の惣無事令と小田原参陣を東北諸大名に伝えず東北周辺勢力の領地をかすめ取ろうとする(奥州仕置)

政宗「これで陸奥・羽州」
最上義光「父の葬儀で小田原参陣には遅れるとあらかじめ伝えている」
津軽為信「遅刻したけど、石田治部様が見逃してくれたンゴ」
南部利直「すでに小田原の話は別ルートから伝わってある」
戸沢盛安「泳いで参った」
片倉小十郎「殿、愛姫様の実家の田村家が小田原参陣しなかったことを理由に改易されました!」
伊達成実「政宗、もう戦争しないんか。あーつまんね。出奔するわ」
政宗「」

86: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)15:09:28 ID:JDZ
戸沢盛安は泳ぐから体冷やして病に倒れてるよなこれ

87: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)15:17:21 ID:hAN
⑯文禄・慶長の役

太閤検地を実施、いろいろ一揆もあったがほぼ鎮圧すると当時に大名に従わない国人衆を全て粛清
国人衆の中間支配、ここに終焉する

惣無事により内乱終了したことで商人の往来が減少し始める(交易圏が減衰し戦国バブルが萎み始める)

秀吉、東アジアさらには中央アジアを巻き込んだ大交易圏を構想。その第一段階として明国を従属させる必要があった

橋渡し役であった李子朝鮮を従属させるよう小西行長に交渉させるが、もちろん拒否

交渉決裂を理由に朝鮮半島へ日本軍が侵攻開始(文禄の役)

日本メンバー
宇喜多秀家・小早川隆景・小西行長・加藤清正・島津義弘・大友義統(途中へまして改易)
藤堂高虎・立花宗茂・小早川秀包・鍋島勝茂・毛利秀元・吉川広家・毛利勝信 他多数

最初のうちは全戦全勝だったが、民間人のレジスタンス化&明軍の救援到着によって形勢不利へ

小西行長、明の悪い人に騙されて日本降伏という形で国書偽造し和議

捏造がばれる、秀吉激怒し絶望の2回戦突入(慶長の役)

前回の戦いで対策していた朝鮮軍の抵抗で戦には勝っても日本軍のダメージが大きすぎる

鳴梁海戦で藤堂高虎、李舜臣に敗北(バトルオーシャン)。しかし陸路では朝鮮軍は撤退撤退&撤退

本国から家康・三成名義での撤退命令

小西行長、また騙され(2年ぶり3回目)明軍に城を包囲される

島津義弘・立花宗茂軍、小西行長救援のため明軍を攻撃(露梁海戦)
戦争では明軍が勝利するが、指揮官クラスは誰も捕縛することができず

朝鮮半島、ただ焦土となるだけで北斗の拳並の無法地帯化
日本からの和睦を拒否するが、清国の脅威もあって交易路復活の道を模索

1600年代に入り、小西行長から仕事を引き継いだ宗義智が国書捏造(御家芸)して朝鮮と国交回復に成功

88: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)15:20:12 ID:Abs
>>87
うーんこの

89: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)15:20:36 ID:hCp
小西行長騙され過ぎィ!!

90: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)15:21:29 ID:JDZ
小西行長は一番商人に向かないから武士になったらしいし多少はね?

91: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)15:25:53 ID:hAN
⑰豊臣政権の衰退

秀次事件・地震・朝鮮征伐と問題連発で秀吉の恐怖政治化が進む

羽柴秀長やなか(秀吉母)の死・千利休処刑・黒田考高粛清に近い形での隠居と羽柴時代を支えた重臣が減る

豊臣政権も武断派&尾張派(加藤清正・福島正則・浅野幸長・結城秀康)と文治派・近江派(石田三成・大谷吉継・石川貞清・片桐且元)で対立するように

大和豊臣家(羽柴秀長)、嫡子なしにより改易。筆頭家老だった藤堂高虎が豊臣家に愛想をつかし徳川家康に接近開始。
秀次事件で浅野家左遷。豊臣政権の長老格だった浅野長政が家康に接近開始

秀吉死去。

豊臣政権ナンバー2だった前田利家も死去

武断派・文治派の対立が激化(七将襲撃事件)

92: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)15:28:17 ID:Abs
ここらへんすごいごちゃごちゃしてて嫌い

93: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)15:31:58 ID:hAN
このころの諸大名

蠣崎・津軽・南部・安東・戸沢・小野寺・伊達・最上
相馬・葦名・蒲生・佐竹・大関・大田原
徳川・成田・横瀬・里見・佐野・喜連川
上杉・前田・真田
加藤・福島・堀尾・中村・生駒・山内
石田・大谷・浅野・長束・細川・古田・京極・中川
長宗我部・藤堂・加藤・蜂須賀
毛利・宇喜多・宮部・亀井・小早川・池田
大友・立花・高橋・筑紫・竜造寺(鍋島)・松浦・有馬
島津・小西・相良・伊東・秋月

94: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)15:35:10 ID:JDZ
尾張派と近江派って捉え方あったんやな
なお藤堂高虎

…もう大名一覧とかクッソ適当の度を越えてると思うんですがそれは

95: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)15:39:02 ID:7ih
やっぱ秀長が要というかストッパーやったんやな
藤堂高虎も忠を尽くしとるし

96: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)15:39:12 ID:hAN
⑱関ヶ原前夜・五大老の立ち位置

五大老間で豊臣政権奪取をもくろみデスゲーム開始

徳川:豊臣政権運営に積極的。浅利領土問題で三成と対立。三河武士の間に空前の領土開拓ブーム到来

前田:政権運営に消極的。調整役だった利家が死に、家康から豊臣家への謀反の疑いをかけられる
利家の正妻、まつが交渉役に立ち事なきを得るが天下統一レースへの道からは外れる

毛利:豊臣政権とは独自に運営したい。朝鮮征伐に金掛け過ぎてダメージが大きい。輝元の領土拡張構想と現状維持のブレーン層との間で対立

宇喜多:豊臣政権再右翼。宇喜多騒動でアヘアへ

上杉:豊臣政権とは独自に運営したい。隣国の伊達政宗があまりにも不穏すぎる。最上義光とも領土問題で火種を抱える

小早川:三成死ね。

97: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)15:43:20 ID:hAN
⑲関ヶ原前夜・上杉征伐

七将襲撃で三成隠居

宇喜多騒動で宇喜多秀家無力化、対応に失敗した大谷吉継が出世コースから外れる

宇喜多・前田・石田を無力化した家康、藤堂高虎・浅野長政・島津義久・細川幽斎と仲良くなる
新庄直頼(近江の大名なので政権に近い)・山名豊国(秀吉に近い立ち位置なので政権中枢の話が知れる)・有馬豊氏(山名と同様)と仲良くなる

上杉無力化に動き出す

直江状

家康、挑発に乗り上杉征伐に乗り出す。伏見城に鳥居元忠を留守番させる

98: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)15:53:59 ID:hAN
⑳関ヶ原前夜・三成挙兵

そもそも家康VS三成は五奉行VS五大老の対立でもある
(家康を倒しても毛利や上杉が後に三成と対立するリスクはあった)

三成「家康を政権」
吉継「お前じゃ無理」

毛利・宇喜多を総大将として家康打倒の命令を西国諸大名に出す

結果は・・・

毛利:そんなことより領土拡張だ
宇喜多:賛成
亀井:賛成(参陣するとは言ってない)
宮部:反対(なお西軍に寝返る模様)
立花:賛成
鍋島:どっちもどっち
筑紫:賛成(最近の研究で当主は東軍だったけど立花宗茂の与力だったため賛成せざるを得なかった)
小早川:反対だったけど勝手に西軍にされた
蜂須賀:反対
小西:賛成
島津:反対だったけど勝手に西軍にされた
長宗我部:反対だったけど勝手に西軍にされた


大谷「妻子を人質にとろう(提案)」

細川ガラシャ、自刃。人質作戦失敗なうえ、細川忠興が殺意の波動に目覚める

小早川秀秋を強引に西軍に引き入れて伏見城攻撃(三成挙兵)鳥居元忠自刃。

知らせを受けた家康、軍を引き換えし諸大名から三成を討つことの確認(小山評定)

真田昌幸(アンチ家康)・真田信繁(石田三成の与力大名)・田丸直昌(本拠地が長束正家と石田三成の領地に挟まれている)以外の全員が東軍に

104: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)16:09:53 ID:hAN
22 関ヶ原の戦い

織田秀信の単独行動で岐阜城が落城したこと
最終防衛ラインだった大垣城が小早川秀秋の暴走で家康進軍経路にぶつけられなかったこと
>>98の時点ですでに大多数の諸大名が家康にコネクション持ってたこともあり、三成と吉継と秀家だけしか戦ってない状況

小早川・吉川の裏切り(予定調和)と脇坂の調略(土壇場での裏切りだったっぽい)
さらい朽木・小川・赤座の便乗により大谷軍壊滅。→西軍総崩れ

大津城に鎮座していた後詰の立花宗茂・小早川秀包・高橋直次、大阪城に撤退し毛利輝元に再戦を要求する

TERU「飽きたから帰るわ。終戦工作は吉川に任せる」

東軍勝利に終了
戦後の加増・改易などの整理を行う。三河武士に人事担当できる人間が少なく、井伊直政過労死。

99: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)16:00:35 ID:Abs
勝手に西軍にしスギィ!

101: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)16:02:46 ID:hAN
21 関ヶ原前夜・緒戦

東北方面:長谷堂城の戦いで上杉(西)、最上(東)に敗北。福島城の戦いでは上杉(西)、伊達(東)に勝利。小野寺(西)を周辺大名が全員で攻撃

関東:結城秀康を大将とする駐留軍が佐竹・上杉・伊達に対して圧力。

東海道:元々家康の領土であったこと、小山評定で全員東軍に引き入れたこともあって猛スピードで進軍&各城から兵士と合流しながら進む

中山道:真田昌幸迫真のディフェンス

北陸:前田利長、どっちが勝ってもいいよに周辺大名をことごとく攻撃。戦が勝った方に(周辺国は負けた側だった)と言いふらす予定だった。
結果、丹羽長重が巻き込まれ改易

美濃・尾張:織田秀信が桶狭間の再現をしようと福島正則を奇襲(長良川の戦い)、なお二回目はない模様。

畿内:九鬼家が親子で分かれ、馴れ合いの戦争開始。紀伊半島周りから他の大名が移動できなくなる

中国・四国:毛利輝元、周辺大名家へ侵攻開始。大友義統を煽って九州にも兵を進める

九州:北部地域→黒田考高暴走 南部地域→加藤清正暴走 の地獄絵図

102: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)16:04:47 ID:Abs
九州とか言う修羅の国

103: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)16:06:36 ID:hCp
真田とかいう西軍の希望

105: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)16:17:21 ID:hAN
23 江戸幕府成立

殺意の波動に目覚めた細川忠興、どさくさに紛れて丹後で暴走

巻き込まれる形で赤松則秀が切腹→赤松家断絶

(今川氏真、大沢基宿らが京の公家衆とコネクションを持つ)

公家衆の推挙もあって家康、征夷大将軍に就任。江戸幕府を開く

豊臣政権末期の反省から
榊原康政・大久保忠燐らから林羅山・金池院崇伝といった首脳陣を刷新(老臣争うは亡国の印)

武断派の諸大名と文治派の大半は徳川の外様大名として成立

関ヶ原で改易された大名の恩赦や再就職を行う
来島・新庄・相馬・立花・丹羽→大名復帰
小野寺・田丸・筑紫→どこかの大名に再就職の斡旋
宇喜多→罪一等を取り下げ八丈島に流罪(流刑地の八丈島整備を宇喜多に押し付けたかった説)
真田昌幸・信繁→ うーん、九度山で飼い殺し!w

107: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)16:23:41 ID:hAN
24 大坂の陣 その1

豊臣家、政権運営は文治派かつ近江衆のさらに藤堂高虎といった上澄みを取り除いた残りかすしかいなくなる

片桐且元、家康と交渉しつつ豊臣家存続の道を模索

この動きが新たに台頭してきたタカ派の目に留まり和平派(片桐且元)と戦争派(大野治胤・木村重成)の間で対立

方広寺鐘銘事件がきっかけとして片桐且元失脚。
この事件が大坂の陣に直接つながったわけでなく、片桐且元の失脚を理由に大坂の陣の契機をつくった

家康は、「片桐が失脚した以上、豊臣家をまとめる人間はいない。「戦争する」という圧力をかければ秀頼は幕府に従うだろう」
という目論見だったが、秀頼はガチで戦争を始めた模様

108: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)16:25:43 ID:hCp
片桐さん…悲しいなぁ…

109: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)16:40:11 ID:hAN
江戸幕府初期の諸大名

東北 
津軽 南部 佐竹(与力大名 浅利) 六郷 戸沢 安東→秋田(幕僚となった息子が、暴政を理由に父の実季を改易させる。以後秋田家は代官職として羽後を治める)
伊達(与力大名 片倉・亘理伊達・田村)相馬 岩城 酒井 最上(最上騒動で1万石に改易。以降山形は譜代大名の窓際席扱いに)
上杉 保科 蒲生(後に改易)

関東
大関 大田原 水戸徳川 真田(後に圧政を理由に沼田領は召し上げ) 屋代(室賀正武の弟が継いだ、一時的に大名昇格) 
榊原 大久保 本多 奥平 喜連川 丹羽 里見(後に断絶)

甲信越
松平忠輝家 溝口 小笠原 諏訪 仙石(江戸時代中期では幕府中枢になってて草生える)

東海 
尾張徳川 太田 

北陸
前田(半分与力に近い形で 高山 長 赤座) 越前松平

畿内
井伊 京極 藤堂 紀伊徳川(与力大名 水野 正木 安藤) 池田 九鬼 朽木 脇坂

中国
毛利(与力大名 吉川 小早川→毛利 穂井田→毛利 宍戸) 池田 浅野  古田(古田騒動で改易)
福島(後に改易)水野

四国
山内 伊達分家 蜂須賀

九州
立花(与力大名 高橋→立花) 有馬(播磨有馬家) 有馬(キリシタンの方) 中川
秋月 加藤(後に改易) 島津 伊東 相良 細川(与力大名 松井)黒田 鍋島(与力大名 龍造寺)松浦

110: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)16:47:20 ID:hAN
25 大坂の陣 2 大御所政治

小笠原・諏訪・仙石と次々と譜代大名に昇格
飴と鞭政策で大名を手なづける(本多正信・本多正純・大久保忠燐・土井利勝が主導)

公家、長く続いた戦乱の世に頭がおかしくなって御所で乱交パーティーをはじめる

天皇から関わった人間を処刑しろと指示されるが、関係者が大物だらけだったので幕府流罪もしくは閉門程度にお茶を濁す(板倉勝重が主導)

天皇家との徳川家の繋がりを進める(藤堂高虎・阿茶局が主導)

各種法律を制定(土井利勝・林羅山・崇伝・天海が主導)

江戸開発が一定の目途がたつ、拡張させながら利根川工事も進める(伊奈忠次・藤堂高虎が主導。費用は外様大名持ちで)

政権安定化を進める一方で秀頼は各大名に号令をかけたり関ヶ原やそれ以降に浪人を集めていた

111: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)17:02:48 ID:hAN
26 諸大名の政権運営

佐竹:水戸から秋田へ転封。佐竹義宣は梅津や渋沢といった有能人材を出自を問わず重用し安東家の戦いで疲弊した領国を安定させる方針で進めた
(梅津日記、雪の峠参照)。20万石の石高確定したのは義宣の死後以降。石高が高い=楽な生活というわけでもなく、予算が少ない以外は常陸時代よりむしろ栄転

伊達:支倉常長をスペインに派遣し、国交を単独で結ぼうとする。また娘を忠輝に嫁がせ将軍の外祖父も狙う。領国経営は家臣にそのまま分地する旧式のもの

上杉:120万→30万の大減俸。内乱分子を抑えつつ直江兼続が領国経営に腐心した。
その後も減俸されまくるが、上杉鷹山の時代に安定化

前田:十村制度の導入。赤座吉家や高山右近をはじめとする土木が得意な理系官僚(テクノクラート)育成に力を入れた
正直言って、前田利常の領国経営は家康や秀忠よりも有能。

井伊:武田旧臣(井伊直孝)と井伊谷譜代(井伊直継)の2家に分家。東海道の抑えとしえ井伊家は江戸幕府を通して幕府の中枢であり続けた

藤堂:井伊家と並ぶ譜代大名の雄。城郭・町割・大名間の婚姻と重要な場面を藤堂家が担当した。
家康の死の直前、徳川家臣以外で唯一高虎のみが臨終を看取ることを許されている

毛利:輝元は領国経営「だけ」は有能だった。萩の町を歩くとその実績がよくわかる

池田:くわしいことわかりません。池田学校とか?

山内:長宗我部旧臣とそれ以降の上士の対立構造を作る。これが幕末に大きな動きを見せることに

島津:領地内のやりくりに息づまり、琉球出兵や密貿易で政権を維持した

112: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)17:10:51 ID:hAN
27 大坂の陣3 大坂冬の陣

秀頼、大坂退去を拒否。幕府軍が兵を進め大坂の陣勃発

木津川の戦い
蜂須賀至鎮○ 明石全登×(不在)

鴫野・今福の戦い
上杉景勝・佐竹義宣○ 後藤又兵衛・木村重成・大野治長・渡辺糺×

博労淵の戦い
池田忠雄○ 薄田兼相×(不在)
 
野田・福島の戦い
九鬼守隆・向井忠勝・戸川達安○ 大野治胤×

真田丸の戦い
前田利常 井伊直孝× 真田信繁・木村重成・長宗我部盛親○


阿茶局・浅井三姉妹「初」との間で和議成立。
堀を埋め立てることで休戦になったが・・・

幕府は浪人衆をまだ解放していないことを理由に再度大坂退去を要求
拒否した秀頼は再度戦となる

113: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)17:10:56 ID:wpl
まだやってたんかい、イッチ!

116: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)17:18:23 ID:hAN
>>113
あと2つや・・・

28 大坂夏の陣
樫井の戦い 
浅野長晟○ 塙団右衛門×

道明寺合戦
水野勝成 松平忠明○      後藤又兵衛・薄田兼相・明石全登× 
後続 伊達政宗・松平忠輝    後続 真田信繁・毛利勝永

八尾の戦い
藤堂高虎・井伊直孝○ 長曾我部盛親×

若江の戦い
井伊直孝・丹羽長重・諏訪忠恒○ 木村重成

岡山口の戦い
徳川秀忠・前田利常・井伊直孝・藤堂高虎・立花宗茂・黒田長政○
大野治胤・御宿官兵衛×

天王寺口の戦い(戦国時代最後の戦い)
本多忠朝・真田信吉・松平忠直・小笠原秀政・酒井家次・水野勝成・伊達政宗・脱糞

真田信繁・真田大助・毛利勝永・大谷吉治・細川興秋

117: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)17:19:31 ID:hCp
怒涛の『×』で何か悲しくなってくるンゴ…

118: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)17:27:23 ID:pAn
山形県とか言う昔っから苦労しっぱなしの土地…

123: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)17:36:58 ID:Swt
>>118
最上「かっこええ銅像ありがとな」

120: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)17:31:04 ID:hAN
29 戦国時代の終焉

天王寺・岡山の戦いでは真田・毛利隊の奮戦もあったが、一時間程度で幕府方の混乱は収まり
信繁は討死、勝永は敗残兵をまとめて撤退を余儀なくされる

大野治長が最終交渉に出て、自分と治胤の切腹と秀頼の伊勢一国減俸&淀の人質という条件で和議しようとする

幕府方はこれを拒否(家康は大野に賛同し、大野切腹+秀頼高家化を提案したが秀忠が断固反対したとされる)

その夜大坂城の台所内部で出火し炎上(真田丸でやってたけど史実です)

翌日朝、井伊直孝隊に包囲され、秀頼と淀は毛利勝永によって介錯され自害した

その後幕府軍の戦後処理開始(乱捕りなど第二次世界大戦後のベルリン並にひどかったらしい)

戦後処理

秀頼の子は国松が処刑、天秀尼が助命(方慶寺住職)
長宗我部盛親・大野道犬(治永の弟)が処刑
明石全登は行方不明(後に子供が見つかり処刑されている)
増田盛次・古田織部・細川興秋は切腹
真田信繁の子供らは片倉家に匿われ、仙台真田家を設立
織田有楽はおとがめなし(嫡男頼長を廃嫡し、弟ら2人に分地)

松平忠輝はその後いろいろあって改易、伊達政宗幕府乗っ取りの目論見もここで潰える

122: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)17:36:27 ID:Swt
ワイ京田辺市民
地元大名を誰にすべきかで悩む

127: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)17:39:28 ID:hAN
>>122
和田惟政

ラスト 家康の死と江戸時代の始動

家康、元和堰武を宣言。戦国時代が完全に終焉する(ただし、村同士の争いは綱吉の時代はで偶発的に発生した)

武家諸法度・一国一城令の制定

1616年1月 鷹狩中に倒れる
3月 朝廷から太政大臣の任命(武家出身者では4人目)
4月17日午前10時ごろ、駿府城で死去 享年75。
席に居合わせたのは(阿茶局・茶阿局(忠輝母)・高虎・崇伝?・天海・本多正純)と考えられる

東照大権現が贈られる

秀忠、残りの親豊臣派の大名の弱体化を続ける

それから・・・

島原の乱・由井正雪事件を最後に主だった武力衝突は無くなり、太平の世が訪れる

115: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)17:11:45 ID:rC8
先生みたい

114: 名無しさん@おーぷん 2017/07/30(日)17:11:30 ID:hCp
クッソ適当(丁寧)


引用元;http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1501386713/