過ぎたるは戦国歴史まとめ

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    2018年04月

    NATUGAME0111


    1: 名無しさん@おーぷん 2018/03/10(土)12:31:57 ID:Wr6
    滋賀やぞ

    3: 名無しさん@おーぷん 2018/03/10(土)12:32:53 ID:fs2
    日本の首都が水の都として持て囃されていたかもしれない

    5: 名無しさん@おーぷん 2018/03/10(土)12:32:57 ID:Cjf
    ノッブ「やっぱり港ないとしんどいから堺にするわ」
    【本能寺の変がなければ名古屋が首都だったとかいう妄想wwwwwwww】の続きを読む

    smile



    1: 名無しさん@おーぷん 2015/11/13(金)21:18:41 ID:8W0
    やっぱ一門衆だけあって小早川秀秋は優秀やったな

    2: 名無しさん@おーぷん 2015/11/13(金)21:20:02 ID:Q6n
    生え抜き戦士小早川

    3: 名無しさん@おーぷん 2015/11/13(金)21:21:50 ID:tt1
    毛利家やっぱ強いわ
     
    【ここだけ西軍が勝った関ヶ原の戦い】の続きを読む

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    1: 人間七七四年 2011/12/22(木) 02:32:03.30 ID:+Y85F6Jx
    人間にとって何が本当に幸せの要素か?
    難しい議題だが、時は戦国。
    当時の武将の人生観、現代の人間の人生観

    あらゆるものを相対評価して結局、一番誰が幸せな人生を送ったのか決めるスレです。

    2: 人間七七四年 2011/12/22(木) 02:37:47.78 ID:g5soymlP
    織田信雄

    3: 人間七七四年 2011/12/22(木) 02:48:35.16 ID:vTSd3caq
    子孫繁栄
    満願成就

    【なんやかんや言って幸せな人生を送った武将】の続きを読む

    sanadamaru2334


    1: 風吹けば名無し 2018/03/09(金) 20:23:57.31 ID:as6deByma
    家康「許したるわ」

    信之「あ、有り難う御座いますぅうううう!!」

    幸村「けっ、真田は負けてねぇし」

    昌幸「クソ漏らしが偉そうに」ペッ

    ーー

    幸村「ぶっはぁ!!父上ぇ、兄貴からの仕送り少ないんっすけど文句言って下さいよぉ」酒ゴクゴク

    昌幸「ぷはぁ!!なにぃ?分かった!!」酒ゴクゴク

    昌幸「父と弟が飢えてると言うのに仕送りもまともに送らんとか血も涙も無いのぉ!!鬼じゃのぉ!!」

    信之「…また父上達からの催促か」

    妻「…十分に食べて行けるだけのお金渡してますよ」

    信之「仕方ない、仕送り増やそう」

    妻「もうお金無いですよ」

    信之「…義父殿に頭を下げるか」

    妻「…あなた」

    2: 風吹けば名無し 2018/03/09(金) 20:24:20.28 ID:as6deByma
    昌幸「ワシはもう死ぬけど、幸村、お前はいつか家康の首を取るんだぞ」

    幸村「父上ぇ!!任せといて下さい!!俺が必ず家康の首を墓前に備えるんで!!」

    昌幸「…儂は良い息子を持ったわ」チーン

    ーー

    秀頼「徳川と戦するから大阪城来てね」

    幸村「よっしゃあ!!家康の首取ったるわぁ!!」

    ーー

    家康「お前の弟、なんか大阪に入ったらしいけど」

    信之「…………」

    【信之「父と弟の命を助けて下さいお願いします!!褒美も要りませんからぁ!!」家康「ふーむ」 】の続きを読む

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    1: 名無しのひみつ 2017/12/02(土) 20:03:34.14 ID:CAP_USER
    アーリーリタイア(早期リタイア)という生き方があります。定年を待たずに、早い人は20代で会社勤めを辞め、 第2の人生を選ぶ生活のことです。 

    歴史に目を移せば、戦国大名としては滅亡しましたが、文化人として生き延びた戦国武将がいます。 
    それが、桶狭間の戦いで敗れた今川義元の息子である今川氏真です。 義元の死後、氏真なりに領国経営に乗り出しますが、武田信玄と徳川家康の挟み撃ちにあい、もはやこれまでという窮地に陥ります。 それでもさまざまなパイプを活かし、各地を転々として、ある時は、かつての部下である家康に頭を下げ、家臣になり、 またある時は父を殺した織田信長の前で蹴鞠(けまり)をあざやかに披露。

    政治の世界では成功しませんでしたが、 人脈と豊富なノウハウでセカンドライフを楽しみます。これまでの歴史的な考え方では、 「今川氏を滅亡させた愚かな君主」というのが一般的でしたが、 現在で言うアーリーリタイアの生き方を戦国の世で体現したまれな人物として再評価する声があがっています。 今回、戦国史が専門で、今川氏の研究に詳しい駒澤大学文学部の久保田昌希教授に、 氏真の人生を元に現在に生きる知恵について話をうかがいました。 

    〈義元の弔い合戦をせずに経営に乗りだす〉 

    今川氏真の戦国大名としての評価は「愚かな君主」のイメージでしたが、 その後、今川氏を存続させるための処世術は再評価がなされています。 

    〈久保田昌希(以下、久保田)〉 今川氏真の人生は、本人自身が納得したかどうかは分りません。 
    ただ、戦国時代の周辺の勢力図には、織田信長、武田信玄、上杉謙信などがおり、 戦国大名として今川氏を存続することは無理だったと思います。 父・義元から見ると劣りますが、一方優れた処世術は持っていました。 

    ――氏真の内政はいかがだったでしょう。 

    〈久保田〉 永禄元年(1558年)に氏真の文書がはじめて発給されます。 特に神社に対する流鏑馬銭等の徴収を安堵する内容で、これは当主の権限でした。 この頃から、駿河国・遠江国(現静岡県)の経営が氏真に任されていきました。 

    ――義元の死後、氏真の動向はあまりクローズアップされていません。 

    〈久保田〉 義元の死後、織田を打倒するため弔い合戦をするのではなく、領国の経営に乗り出します。 これは理由があり、桶狭間の戦いで戦死した武将も多く、その家ごとにショックを抱えていましたから、 まず安定を考えていたのでしょう。桶狭間の戦いが永禄3年(1560年)ですから、 その後、氏真名義での文書が当然多く発給されます。 

    大河ドラマの『おんな城主 直虎』でやりました「井伊谷徳政令」の話ですが、 あれは、井伊谷や井伊氏をつぶしたいがために徳政令を発令したのではないと考えています。 氏真は徳政令を出することで徳のある政治を行いたいという考え方を持っていたのではないでしょうか。

    ただそうなると金貸しはたまったものではありませんので、徳政令に従った金貸しには、 
    損だけさせるのではなく特権商人としての地位を認めるなど、バランスの取れた政治も行なっていました。 ちなみに、徳政令は、個別に義元も出しています。 ほかには、富士大宮楽市も行い、信長より一歩先んじて、当時の楽市楽座政策に影響を与えたと思われます。 そういう意味でも悪政を強いたわけではありません。 

    続きはソースで 

    関連ソース画像 
    https://s.eximg.jp/exnews/feed/Smadan/smadan_lifehack/2017/E1510305047667_6f7c_1.jpg

    エキサイトニュース 
    https://www.excite.co.jp/News/smadan/E1510305047667/

    18: 名無しのひみつ 2017/12/02(土) 21:18:01.75 ID:RnRf+GAR
    >>1
    義元の再評価はあってもいいと思うが、氏真を評価するのは無理だろ。
    親父を殺した信長の前で蹴鞠を披露した、という時点で、あの時代の精神からして、
    周囲からどんだけ軽蔑されてもおかしくない人物だと思う。

    歌道の教養は身につけていたが、自身が詠んだ歌はどれも平凡なものだったというし、
    三流の人物が、三流の人生を送った、というだけのことだろう。

    変な新解釈はやめたほうがいい。

    22: 名無しのひみつ 2017/12/02(土) 21:53:06.31 ID:dRkN27mI
    >>18
    ホントに無能なら今川家は滅亡してるだろ
    どんな方面に才能があるか、そしてそれを活かす才覚があるか
    って話だよ、アホ
    自分は戦国武将のスキルが無いと自覚するのも、それはそれで利口じゃ無きゃ出来ないんだよ

    【再評価される今川氏真(今川義元の嫡男)の処世術 戦国時代にアーリーリタイアを実現 】の続きを読む

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