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1: 人間七七四年 2013/02/22(金) 04:55:22.52 ID:hYbyERmu
賤ヶ岳あたりまでの単身の武勇による「猛将イメージ」なんだが
九州征伐→他に蒲生氏郷とかの方が武功有名
肥後鎮圧→一揆相手
唐入り→小西行長と同じ程度の猛進撃
ウル山→戦闘より数日間の飯我慢武功
関ヶ原→九州で小競り合い程度
福島正則の方がまだ関ヶ原での活躍があって、単身・将として共に猛将だと思う
体格がいいのとヒゲや馬、豊臣びいきで悲運の死補正で「強い」「武張っている」イメージをつけただけで、実際の向き不向きとしたら文治色が強かったと思う
どうだろうね
アンチじゃないが、史料を曲解した贔屓武将の脳内補正はお断りです
実物大の清正を知りたい

5: 人間七七四年 2013/02/22(金) 22:32:27.17 ID:9TbQtO56
>>1
豊臣政権期に、ある武将に関して「文治色が強い」っていうためには、
実際に文治に該当するさまざまな奉行職を担当している必要があるわけで、
例えば石田三成は堺奉行を振り出しに、そのキャリアはまさに文治派そのものなのよ
だから、単に自国の領内での民政や築城で手腕を発揮した(領国経営はどの大名でもやる)
というだけではなく、清正がそういう奉行職を担当してるかどうかが重要になる
んで、清正にはおそらくその手の職歴はないと思うんだけど

31: 人間七七四年 2013/02/26(火) 21:52:18.60 ID:/sVLnEPq
>>1
>肥後鎮圧→一揆相手

一揆相手って簡単にいうが、戦慣れしてるうえに、
地の利がある土豪が相手なんだから、鉢植えの豊臣恩顧の大名が
ポンと入封したって、なかなか一揆を鎮圧するのもたいへんなんだぞ
現に佐々成政なんて、それで腹を斬る羽目になった
そんなこというなら、寡兵の城井相手に何度もボロ負けした
豊前の黒田長政とかどうすれば、って話。立つ瀬ないだろ

35: 人間七七四年 2013/02/26(火) 22:11:40.11 ID:+qZ7hvlh
>>31
一揆相手だから楽勝だろ という意味じゃないんだ
そもそも清正1人で鎮圧したわけじゃなし、いうなれば一揆vs日本全軍みたいな状況でしょう
あの戦略的状態は勝って当然な戦い、負ける方がおかしい
それに成政は入封後に自国で一揆だから、自軍の準備もままならない
一悶着後に他所から安全確実な自軍を連れてきてる清正や他の援軍とは環境が違う
また、一揆鎮圧を生涯の誉れのひとつとしている武将っているかな?
一揆相手に勝っても自慢出来る武功にならなかったんじゃないかな
雑兵をいくら討っても手柄にならないのと同じでね
本願寺や島原は宗教絡んでるから別だけどね

38: 人間七七四年 2013/02/26(火) 22:19:21.44 ID:/sVLnEPq
>>35
>また、一揆鎮圧を生涯の誉れのひとつとしている武将っているかな?
>一揆相手に勝っても自慢出来る武功にならなかったんじゃないかな

これは間違い
この当時の一揆というのは、江戸の百姓一揆とは根本的に性格が違うわけで
規模的にもずっと大きいし、動員される兵力も多い
武将の武功という観点からいうと、一揆の鎮圧は、もちろん正式の武功に
カウントされるし、主君から公式に感状も恩賞もでる
家譜や家記などの正規の記録にも、当然、武功としてちゃんと記されてるよ

2: 人間七七四年 2013/02/22(金) 09:20:59.71 ID:BSUmi+hY
縄張りは巧かったのは間違いないからあながち猪突猛進のバカではなかったのだろう
不満をもらした福島に帰って戦の準備しろとか言い放ったり割りと現実主義者だったんじゃなかろうか
俺は好きじゃないけど

7: 人間七七四年 2013/02/23(土) 21:58:58.04 ID:aOy8ONxm
まぁ当時から現代まで猛将で通っている清正が、実は猛将でなかったとするなら、
そういう評価をされている史料も残ってるでしょ。

事実、清正の卑怯な一面がキッチリ史料で残っているもんな。
(本質的に卑怯かどうかは置いておく)

8: 人間七七四年 2013/02/24(日) 22:32:38.75 ID:lAc9dHIo
福島正則の方が猛将じゃないのに、猛将になってる気がする

10: 人間七七四年 2013/02/25(月) 01:05:46.97 ID:m4Ux55vV
>>8
福島正則は少なくとも関ヶ原での岐阜攻めと本番野戦で、それなりの相手やそれなりの城に対して実績を残してるから、まだ清正よりは優れていると思うんだ
あまり詳しく知らないからあれだけどw
でもたしかに福島正則も「粗暴だったから猛将」みたいなイメージ猛将な雰囲気は感じるよw

12: 人間七七四年 2013/02/25(月) 19:50:28.81 ID:qqoj3y9a
福島正則は、秀吉の播磨攻略期に信長から特に感状もらってるくらいだから
若い頃から猛将という評判があったのは、まあ間違いないかと。
加藤清正のイメージは、江戸期に入って、唐入りが記録や読本で記憶化されてゆく過程で、
圧倒的にヒーローになってゆく側面が大きい。

むしろ黒田長政は、近年、過大評価気味になった武将という印象だな。
戦歴からいうと惨敗に近い負け戦も多いし、関ヶ原で小早川を使者を派遣して
懐柔するのは、秀秋と縁戚関係の深い浅野長政・幸長もやっている。
吉川広家は、むしろ親の如水との方が縁が深く、如水自ら東軍に勧誘するよう
何度も働きかけた書面が残ってるんだけど、なぜか関ヶ原を語る際には
そのあたりはスルーされて、全部黒田長政の手柄になってる感があるわ。

18: 人間七七四年 2013/02/26(火) 00:44:06.08 ID:yjBhDEcX
ヒント 太閤の唐入り
豊家最重要武将が活躍する拠点が九州

19: 人間七七四年 2013/02/26(火) 01:11:38.88 ID:r5P643P5
九州いったのはあくまで先発隊で、秀吉とともに渡海するはずだった本体とは別だっつーの

29: 人間七七四年 2013/02/26(火) 05:02:30.09 ID:+qZ7hvlh
やっぱり具体的に突出した武功とかはないんだろうか
本人が武張った事好きなのと、それによる見た目や家風、言動から生まれたイメージが後々講談とかで定着していったのかな
それはそれで面白いけどね

30: 人間七七四年 2013/02/26(火) 10:47:54.37 ID:xQfuNYJ7
というか、清正は文治の方が向いてたんじゃね?という前提そのものが、よくわからん。

築城はまさに戦の延長なんだがら、当時の豊臣系の築城名人は藤堂にせよ、
黒田(親父の方)にせよ、まさに武断派の武将ばっかりなんだし。
もし文治に向いてる素質があったんなら、何か役職回ってくるだろうし。
小西なら外国語語能力+水軍の運用能力があって、九州取次として対外貿易を
まかせられる→のちに唐入りで戦闘も担当とか。
浅野長政みたいに、前線で部隊率いて戦う一方で、早くから商業政策を担当するとか。
清正には、特にそういう行政能力がありそうになかった、
ふつうに武断派だった(別に低く評価してるわけではない)というだけの話なんでは。

34: 人間七七四年 2013/02/26(火) 22:09:38.89 ID:SaY862vi
時々、三國志みたいに「武官」「文官」みたいな概念を戦国時代に持ち込みたがる人がいるな。

86: 人間七七四年 2013/03/09(土) 13:04:54.10 ID:yXvVgI16
文治向きとされる功績も、清正の場合、なんでもかんでも清正のおかげにされて、その後の統治者の功績が無視、もしくは隠されてしまっている。

治水関連の場合、誰でもそのぐらい考えつきます。難しいのは完成させることと、そしてそれを維持していくこと。そちらの方が大変だったりする。
このように内政も、発案者よりも、それを実際に遂行し、維持運行していく方が能力がいる場合がある。

軍事面も虚像を剥いだように、内政面の虚像を払うと、それほど特筆すべき功績はない。

軍事と内政の虚像をなくし、残ったものだけを見ると、やはり武>文だとしか言えない。

88: 人間七七四年 2013/03/09(土) 13:53:41.29 ID:VYUB1QwE
>>86
たしかに在任期間が20年にも満たないから、出来なかった物もあるよね
いくつか治水や開拓事業してると思うけど、全部できなかったのかな?

ただ発案、実行、作業、完成、維持のどれを取ってその人の事業とするかは、やはり発案と開始者だと思うよ
完成させるのと維持させるのが大変なのは分かるけどね、そうすると大阪城は秀吉でなく江戸城は家康じゃなくなるから(江戸は太田道灌ってのは置いといてw)

たしかに内政面でも、ありきたりなのもあるね
言うように軍・政問わず虚像を払うと、特筆すべき功績は確実に実在して、今の自分たちが直接確認出来る熊本城が残らないかい?
とすれば、残った物っていえば武より文じゃないかな
どうだろう?

101: 人間七七四年 2013/03/09(土) 22:12:43.93 ID:YW+NWXCW
井伊直政なんかは内政も他国から学びに来るくらい上手かったし、徳川家の外交官として活躍したのになぜか「猛将」扱いなんだよなぁ
あんまり内政功績は関係ないのかもしれんな

103: 人間七七四年 2013/03/10(日) 14:22:06.81 ID:uRY3yCo/
>>101
やっぱり基本、武士は戦うのがメインだからなんだろうね
武張った事は幾らでも名誉だが、畳の上の奉公は名誉どころかマイナスにもなりかねない
畳の上が名誉になるのは、戦いの無くなった江戸時代からだもんね

129: 人間七七四年 2013/03/11(月) 21:38:49.85 ID:rN3v5bYu
高名な戦国武将は結構、内政に心血注いでる。
池田輝政、黒田長政、加藤嘉明に、清正以上に猛将というイメージの強い福島正則も、石高増やしてる。

戦国武将=内政下手ってのが思い込みでは?
熊本なら細川家は無視できないし。加藤清正より貢献してる。
せいしょこさんより人気がないから、地元住民は無視するけど。

131: 人間七七四年 2013/03/11(月) 22:17:13.54 ID:H+0gjC7K
>>129
武士として生まれた時点で一般人より高い教育受けられるからね
内政やら軍学やら知ってて当然(実行力は別)と見なしていいと思う
むしろ内政できたら猛将じゃないとかトンチンカンが問題

153: 人間七七四年 2013/03/12(火) 14:12:19.91 ID:hvI2Jysh
当時の土木は統率の方のニュアンスの方が強いんじゃないかねぇ?

157: 人間七七四年 2013/03/12(火) 18:53:57.89 ID:XvljrVay
>>153
設計は頭脳派の事務方、現場は統率の親方 かなぁ
清正は両方やってるけど

158: 人間七七四年 2013/03/13(水) 03:03:55.92 ID:0L0QzLI5
清正は小屋掛けすら自分で監督したので配下に人材が育たなかった、なんて言われてたりしてるな

159: 人間七七四年 2013/03/13(水) 12:33:26.90 ID:RxtmuzoW
ワンマン中小企業の社長みたいな感じだったんだろ
全部自分で決めて意見は受け付けなくてその通りにしないと延々
「俺の指示に従わないとは何事だ!俺をナメてんのか!」と説教される
部下は「はい」「はい」とだけ言ってればいいから人材が育たない
気まぐれにやってみろとか言われて「えっ?」ってなってやるけど
最終的に「お前にやらせたけど俺の考えはこうだからこうしろ」と鶴の一声で決裁される

161: 人間七七四年 2013/03/14(木) 08:47:00.59 ID:6T+R3HKN
江戸期とちがって、自分の才覚1つだけ信じてのし上がった現場たたき上げの大名はワンマン色が強いと思うよ
他人に任せて、もししくじったら命取りになるような事も多いだろうからね
しかも家祖だから先代と比べられたりせずに「殿と一緒に大きくなった」共同感があるだろうから、この人に着いてきて良かったって信奉めいたものもありそうなのは、想像に難くない
その反面、よそに聞こえた名物大将もいたりするから、一概にワンマンでもなくそれなりに育て、任せたんだろうけどね
清正の人の使い方とかの記録はないのかな?

162: 人間七七四年 2013/03/14(木) 13:36:06.76 ID:33Xk3Rsh
逆に福島正則は配下を信頼して仕事をどんどん任せるタイプで、そのため正則改易後、福島家の家臣は各大名家から
引く手あまただったと言われている。

210: 人間七七四年 2014/09/22(月) 21:53:12.52 ID:6TbV3Cz/
>単身の武勇による「猛将イメージ」

って単身の武勇自体はイメージじゃなく事実みたいに言ってるけど、事実なの?

211: 人間七七四年 2014/10/31(金) 03:59:24.59 ID:7QuXCc0r
一次資料だと朝鮮出兵以前では賤ヶ岳の感状とか小牧の陣立書くらいしかないんだっけ?

参考程度だけど、武功雑記(松浦鎮信著、1696年成立)に
天草国人一揆のvs木山弾正戦で手勢1500、味方の討死が侍91雑兵279、敵の討死(内訳不明)が463、
うち清正自身で13killって記事があった。
この時同時に一番槍でもあったと書かれてるので大将が率先して突っ込んでったっぽいな

ちなみにこの本だと通説と違って木山弾正を討ち取ったのが
小西配下の阿波鳴門之介だったりするのでやっぱり参考程度に。

213: 人間七七四年 2015/01/02(金) 13:18:47.78 ID:97RNg83u
清正が肥後一国の大名でしかないのに
熊本城なんていう天下無双の大城を建てる予算はどこから持ってきたのか
それは早くから南蛮貿易に携わっていたからなんだね
めっちゃ金を持ってて他の大名にかなり貸し付けてたらしいよ
相当政治の方も優秀だよ

228: 人間七七四年 2016/06/25(土) 18:57:48.93 ID:Nn8JVisK
元々、加藤清正に対する認識は能吏型の人物だったものの、
徳川吉宗が清正の顕彰を始めたことを契機に、
豪勇猛将型の人物像へと変容していった

という話を聞いた
ぜひ検証してみたい

229: 人間七七四年 2016/08/10(水) 13:15:26.89 ID:xVIvGggv
>>228
文禄・慶長の役の相手側の資料(明朝鮮)では、清正は日本軍の中でも
勇猛で強い武将と恐れられている。

実際、数万の明朝鮮軍を相手にした合戦を幾度か
経験しており、勝利を収めている。

ベースは能吏系の武将であることは事実だが、
勇敢さも人並み以上に備えていたのが加藤清正ということだろう。

230: 人間七七四年 2016/08/31(水) 19:39:30.30 ID:JCxHWAr8
そりゃ指揮官としても優秀と見られたという根拠にはなっても、
「豪傑」だの単身の武勇による猛将イメージだのの確立の裏付けにはならんよ

232: 人間七七四年 2016/09/13(火) 12:26:36.25 ID:kzDqSxtR
>>230
蔚山城が攻められたときに援軍として少数で城に乗り込んだり、
野戦では数万の敵を相手に陣頭指揮をとったりしている。
これが豪傑や猛将でなければ、【猛将・豪傑】の定義を変えなければならない。

233: 人間七七四年 2016/09/22(木) 00:36:23.60 ID:PhJzd9C1
いや、そうなるとこの人のいう猛将って誰なの?って聞かなくちゃならないだろ
日本から猛将がいなくなるは

231: 人間七七四年 2016/09/05(月) 08:07:39.89 ID:4uNnCpER
wikiには主計頭に任じられたとあるね
石田三成とも一時期まで仲が良かったみたいだし