ダウンロード (1)


1: 人間七七四年 2006/06/17(土) 19:15:18 ID:+sIjXTF1
蝮の道三
大男の義竜
凡愚の龍興
美濃三人衆

個性的な面々の斎藤家について語りましょう

2: 人間七七四年 2006/06/17(土) 19:22:34 ID:D0NaUdfd
斎と斉
どっち?

5: 人間七七四年 2006/06/17(土) 19:38:17 ID:jupOda8x
>>2
齋藤

8: 人間七七四年 2006/06/17(土) 22:57:22 ID:vQ5m7mO3
石丸の乱が痛かったな。あのまま利仁流斎藤が美濃の支配層に残っていたら
信長侵攻時の美濃の結束は高かったかも

10: 人間七七四年 2006/06/18(日) 22:02:16 ID:vaKq7Zzi
家臣に城を奪われた時点で擁護できんなあ

12: 人間七七四年 2006/06/19(月) 00:37:24 ID:7dTZSyNe
龍興って何度か信長破ってなかったっけ?

13: 人間七七四年 2006/06/19(月) 00:46:19 ID:d8SJgiiL
殆ど負けだろう。破った戦いといえば十四条・河野島合戦くらいじゃないか?

14: 人間七七四年 2006/06/20(火) 00:03:59 ID:nlCxe46N
道三の父はなんて名前だっけ

16: 人間七七四年 2006/06/20(火) 11:30:47 ID:YqF7QtWp
>>14
長井新左衛門尉じゃ

松波基宗の子ともされるが、例の出世物語が親子二代にわたる話では?
と言われことが多い

17: 人間七七四年 2006/06/22(木) 23:14:37 ID:c4rwt249
もう親子二代説で確定でしょ。

18: 人間七七四年 2006/06/23(金) 06:19:28 ID:hquBCKaS
世代的には一番しっくりくるな>二代説

24: 人間七七四年 2006/06/25(日) 21:54:05 ID:YukMO7q7
道三は謀将のイメージが強いが、戦も強い。
美濃内乱では同族から近江勢、
加納口の戦いでは尾張勢率いる織田信秀を完全に叩きのめしてる

31: 人間七七四年 2006/07/02(日) 23:27:15 ID:mJfmVVY1
今二代説である程度言われているのが、最初期の法華経を学んでいた僧
法蓮房として生を受けたが、その後その学友のつてを使い、美濃の名家長井家に
仕官した所までが、父である可能性が高く、その後斎藤道三の実父が亡くなったという辺りから
正式に道三(この時は司馬小説では庄九郎だったか勘九郎だったか)の名が出てきたらしい。

32: 人間七七四年 2006/07/04(火) 18:03:45 ID:3Xi8BDOk
どこからが道三なのかな?

松浪庄五郎?
西村勘九郎?
長井新左衛門?

父は松浪基宗?

33: 人間七七四年 2006/07/06(木) 14:09:46 ID:HPo1UOz5
六角義賢が家臣に宛てた手紙に、道三の父親が小坊主、油商人、長井市への
仕官ということを経て、道三が長井氏を乗っ取り、美濃の国主になった。
と、書いてある。

35: 人間七七四年 2006/07/06(木) 15:16:09 ID:KojK1AQ9
>>33
ってことは西村勘九郎までは親父殿なのかな?

36: 人間七七四年 2006/07/09(日) 10:38:09 ID:/T4kQ0Pq
岩井三四二の斉藤道三書いたの面白いよ~
書店で売ってるの見たこと無いけど。

37: 人間七七四年 2006/07/09(日) 14:13:28 ID:vJVue3Ga
日本大百科全書によると

(略)
 この俗説には混同があり、その前半部分は道三の父の事績で、道三の国盗りの過程は、
実際には道三とその父の2代にわたったことが明らかにされている。
妙覚寺学僧で還俗して西村を称したのは実は道三の父新左衛門尉(しんざえもんのじょう)であり、
新左衛門尉は守護土岐氏の有力家臣長井氏に出仕してしだいに台頭、
長井氏を称し長井氏惣領と並ぶ実力者に成長する。
新左衛門尉は1533年(天文2)死去するが、その子長井規秀(道三)の確実な初見も33年で、
同年もしくは34年、道三は長井氏惣領を討ち、
35~36年、時の守護土岐二郎(実名未詳)を追放して頼芸を守護とする。
37年ごろ守護代斎藤氏の名跡を継いだらしく、斎藤利政と名のり美濃の実権を握ると、
やがて52年頼芸をも追放するが、子の義龍と不和になり、
56年(弘治2)4月長良川畔に戦って敗死した。
織田信長、飛騨の三木自綱はその女婿。 〈谷口研語〉

38: 人間七七四年 2006/07/10(月) 15:21:28 ID:z438m1Hw
つまり長井新左衛門尉までが父
長井規秀→斎藤利政→道三ということね
ありがとうございます

39: 人間七七四年 2006/07/12(水) 23:35:09 ID:TOfKt/Mw
どうも国盗り物語のイメージが強い。

40: 人間七七四年 2006/07/13(木) 02:23:44 ID:w5pScuJH
じゃあ斉藤道三はいつ生まれたんだろ。

41: 人間七七四年 2006/07/13(木) 16:41:38 ID:AHjEoA4W
永正元年(1504)説があるね

42: 人間七七四年 2006/07/18(火) 04:57:42 ID:zb2GuJkF
義龍が長命なら信長は美濃攻略だけで一生終わりそうだな

43: 人間七七四年2006/07/18(火) 23:44:00 ID:jAK9Gs7R
義竜は結局頼芸の子なの?

44: 人間七七四年2006/07/19(水) 01:56:31 ID:xHhuPRS9
わからない。 
話自体はもちろん創作だけれども嘘から出た誠ってこともあるしね。 
永久に分からないと思うよ。

45: 人間七七四年 2006/07/19(水) 15:55:08 ID:dW40XOcr
斎藤家が支配してたのは美濃一国?西美濃?

46: 人間七七四年 2006/07/20(木) 08:04:59 ID:2yqlLNms
西美濃じゃない?遠山がいたし

53: 人間七七四年 2006/08/20(日) 20:43:41 ID:w5K+gPhQ
道三が美濃を取ったといわれているころは、
加茂郡北部や恵那郡北部は三木氏の支配圏。郡上郡の東氏も半独立状態。

54: 人間七七四年 2006/08/25(金) 15:25:06 ID:n7caQM+F
斎藤妙椿の頃は、郡上の東氏や居益の長江氏を破って、威勢は国中に及んだんだけどね
土岐も守護代の斎藤も後が続かなかった

56: 人間七七四年 2006/09/06(水) 15:16:43 ID:GXAf8SFP
道三の親子国盗り説でちょっと疑問に思ってたことなんだけど
あの当時に書かれた資料には一代説て書かれてたりするの?
あるんなら、一代で国を盗るっていうインパクトある嘘を皆、揃って書いたってことかな?
そんな混合するほど人々の印象に残らない事件じゃないと思うんだけど

58: 人間七七四年 2006/09/09(土) 22:22:48 ID:cnrL8ypv
>>56
これを言ったら実もフタもないけど、
はっきり言って一代説も二代説も大差ない。

京都からきた商人が
美濃の一家臣の家と親交を持ち
ちょっと美濃に基盤を作ったところで
二代目(つまり道三)にバトンタッチだから、
実質、一代の国取りに等しい。

60: 人間七七四年 2006/09/11(月) 16:08:46 ID:SD8g9ioF
非常に亀だけど>>58丁寧にありがとう
なるほどと納得しました
だとすると、道三はやはり一角の人物ではあったのかな

59: 人間七七四年 2006/09/10(日) 14:45:03 ID:Vz45uLij
まあたしかに、二代説が正しかったとしても、
守護の部下守護代の重臣小守護代のさらにしたの家からだからねえ。

65: 人間七七四年 2006/09/20(水) 22:18:45 ID:PKSychBH
龍興と新五の生き方は対照的だよな。
龍興は、ひたすら織田家に反目して朝倉とともに死亡
新五は、ひたすら織田家に仕えて本能寺で死亡

103: 人間七七四年2007/03/12(月) 16:34:14 ID:V+HbM0dV
斎藤利堯も道三の息子だよね?

66: 人間七七四年 2006/10/01(日) 01:42:05 ID:4UfFBaIF
もし、道三の子供や孫に優秀なのがいたら、信長は天下を取れなかったの?

てか、なぜに美濃を攻めたのだ?伊勢はなぜ、後になった?

67: 人間七七四年 2006/10/01(日) 14:16:21 ID:4FoEcHEP
>>66
道三の遺言状があったからだろ
美濃を後回しにしても遺言状の効力が薄まるばかり
道三の後継者としての美濃攻略なら龍興政権の親道三派の離反も狙えたかもしれないし
と俺は思っているんだが・・・

68: 人間七七四年 2006/10/02(月) 01:22:08 ID:bdVdycFf
道三の遺言状は存在そのものが怪しいけどな。
織田家側の史料である信長公記にしかでてこないし、
信長の美濃侵攻を正当化するための捏造な気がする。

296: 人間七七四年 2015/02/10(火) 23:55:12.77 ID:hIBoR2za
すっごい亀だけど>>68
戦前にまとめられた池田文庫所蔵ないし管理に関する資料に
道三遺言状というのものが載ってる。
斎藤家蔵のものだけどあいにく本家の蔵が戦災で焼けてしまい
今もあるかは不明状態。幸いにも分家の方は免れたそうだから
写しでもあるといいんだけど未調査とのこと。

ちなみにこの斎藤家は利治の直系で池田三藩それぞれの家老になり
特に支藩の天城池田とは藩祖の由之が女系の道三末裔ということもあってか
(なので実は忠臣蔵で有名な大石内蔵助にも道三の血が流れているのだw)
子孫が2代に渡って正室として嫁いでいたりする。
この関係で池田宗家とも仲が良かったみたいだよ。

70: 人間七七四年 2006/10/02(月) 05:06:00 ID:7VI8edN2
まあ遺言状はともかく舅&盟友の敵なら一応大義名分が立つんじゃないか

71: 人間七七四年 2006/10/02(月) 06:05:09 ID:SGYqQsVy
確かに遺言状云々は置いといても名分のたつ美濃を攻めるのが常道じゃね?
それに美濃は豊かな国だし、主君が変わったばっかの国ってのは狙いやすいとも考えたかもね

72: 人間七七四年 2006/10/07(土) 02:48:08 ID:TcQjqFg9
義龍がもうちょっと長生きだったら、信長の天下取りも遅れていただろうな。

73: 人間七七四年 2006/10/12(木) 20:37:58 ID:mrbMryfk
時差は出るだろうが、結果としては変わらんだろうな・・蓄えた国力差で押し切られた部分もあるし。

一番時差が出る、というか歴史が変わるのは、道三が生きていた場合な気がする。
北畠の方に伸ばしていけるかもしれんが、少なくとも義昭つれて上洛、はなさそうだ。
上洛するとしても普通に上洛か。斉藤あたりと一緒に。
でも今思うと、美濃の斉藤と尾張の織田、さらに三河の家康まで同盟出来たなら、かなり強力な勢力圏だよな。

81: 人間七七四年 2007/01/25(木) 07:22:34 ID:YVPUPQRx
まぁ道三のスタート位置は、信長の親父信秀よりはましって言う程度。

82: 人間七七四年 2007/01/25(木) 10:02:04 ID:K6SS4jN1
>>81
信秀のほうが親の代の下準備がある分有利。
道三二代説をとっても、二代目道三より信秀のほうがまだいい立場からのスタートだな。

84: 人間七七四年 2007/01/25(木) 23:04:45 ID:YVPUPQRx
そうかな?道三のほうが信秀よりはマシだと思うぞ。
小守護代と同等の力の家と、半国守護代家の三奉行の家だから。

85: 人間七七四年 2007/01/25(木) 23:24:18 ID:VA2W0jw/
弾正家のあった津島の経済力をバカにしてはいかんよ。

87: 人間七七四年 2007/01/26(金) 05:34:59 ID:Sz7NWm3z
経済力だけで家の格は決まらないよ。
それに弾正忠家は織田ではあるが、守護代織田家と繋がり有るかは不明だし。
おそらく、道三の長井家と同じく、成り上がって織田の名を貰った家だろう、と言われてるし。

88: 人間七七四年 2007/01/26(金) 09:22:38 ID:SfLurks6
それでも一応国人をまとめる立場になれたんだから
金の力は偉大だな

91: 人間七七四年 2007/02/12(月) 13:51:15 ID:lQsCv9yv
龍興が朝倉に亡命したのは同じ反信長派だから?
実母は近江浅井家の出だけど、浅井に対する信頼は低かったか。

94: 人間七七四年 2007/02/17(土) 18:36:12 ID:FxXgpa5h
>>91
朝倉と浅井では家格が違うし

96: 人間七七四年 2007/02/27(火) 00:43:10 ID:IUuo+XRT
龍興って庶子だったの?

97: 人間七七四年 2007/02/28(水) 20:34:04 ID:+oHwt/uf
>>96
それが通説みたい。
義竜も早世したし、子は多くなかったようだね。

龍興の子はどうだったんだろ?

106: 人間七七四年 2007/03/22(木) 21:18:54 ID:P+F+WcO1
竜興の正室って誰なん?

108: 人間七七四年 2007/04/09(月) 16:57:33 ID:cX1xq9JZ
>>106 子もいなそうだし、わかんないね
没年からすると いて当然なんだが

109: 人間七七四年 2007/04/17(火) 01:59:48 ID:O5OetyB3
一部の越前朝倉氏の系図に義景の叔父の娘(つまり従姉妹)が龍興の室だった
とあるが、他に傍証資料も無いし。
龍興の晩年を慮れば、側室ぐらいだったら別に不思議でもないけど。

119: 人間七七四年 2007/09/27(木) 02:58:20 ID:ppzTSM4W
国人の遠山氏や明智氏との関係はどうだったんだろ?

120: 人間七七四年 2007/09/28(金) 01:04:11 ID:JmLtmD/i
悪くないけど支配しきれてない感じで。

121: 人間七七四年 2007/09/30(日) 04:24:56 ID:IObXkhbk
長良川の合戦で道三側についたのは明智だけ?(しかも中立)

129: 人間七七四年 2007/11/09(金) 23:09:35 ID:zF6gZbgK
>>121
亀だが、『美濃国諸旧記』によると
道三側の武将は以下の通り。

川島掃部助唯重
林駿河守正道入道道慶
道家助六定重
道家清十郎
高橋修理治平
竹中遠江守道治
竹中主水氏泰
川村図書良秀
片桐縫殿助為春
溝尾庄兵衛茂朝
大塚藤三郎昌宗
三宅式部信朝
桑原十郎左衛門久明
神山内記義鑑
神山主馬正長
神山彦八定常
松原治郎左衛門義保
岩手弾正道高
大沢治郎左衛門為泰
中村宗助秋益
井上加々右衛門頼久
大西太郎左衛門勝祐
一柳右近直秀
山内伝兵衛盛重
飯沼杢之助知俊
鷲見新藤次基綱

130: 人間七七四年 2007/11/09(金) 23:25:42 ID:sTnoj5yL
>>129
道家、竹中、溝尾、三宅辺りは後の織田家と縁がある連中だ。

131: 人間七七四年 2007/11/24(土) 14:39:04 ID:UZJCfxzT
竹中遠江守道治って 半兵衛の親父重元のことなのね。

140: 人間七七四年 2008/02/10(日) 20:47:15 ID:pHHrY5pE
龍興、美濃を奪われても諦めず朝倉で再起をはかる姿勢はカッコいいよな。
普通は大名から転落したら自殺したくなるだろ。

143: 人間七七四年 2008/02/12(火) 00:16:19 ID:EF2T3KE/
>>140
最後は越前で1人の武将として戦死とは、数奇な運命だな。
弟の長竜は織田家に仕えているというのに……。

144: 人間七七四年 2008/02/12(火) 07:10:01 ID:I428IPkV
>>143
それも「家」を存続させる武家の習い。

142: 人間七七四年 2008/02/11(月) 09:01:15 ID:JofqDss3
斎藤義龍と織田信長の合戦は、
弘治二年、斎藤道三が長良川合戦で敗死した後の大浦合戦、
弘治三年、織田信広が斎藤義龍に内応した時の対陣、
永禄三年、森部六月合戦と八月合戦、
他にもあるかな?



146: 人間七七四年 2008/02/12(火) 11:05:52 ID:dHzTkJVi
あ、信広の件は事前に失敗だったか
まあとかく信長から守り抜いたからってのは妙な言い分だと思う

148: 人間七七四年 2008/02/12(火) 12:59:01 ID:OQZCsEiL
たしかに義龍の時代では、国内安定度は美濃が上で、義龍が尾張にちょっかいだして、
信長がそれに対処するという関係だった。

これで「信長から守った」というのはおかしな表現だろう。

149: 人間七七四年 2008/02/13(水) 09:31:23 ID:f8BmDgfB
この流れに関連していると思いますが浅井家や六角家との外交関係も注目してみたい。
斎藤義龍と浅井長政は戦をしているんだよね。



150: 人間七七四年 2008/02/28(木) 16:21:08 ID:pvxorKyX
六角義治の正妻は義龍の娘なんだね。

153: 人間七七四年 2008/03/29(土) 15:09:40 ID:RLZJEJS+
六角ともっとうまく組めなかったのかな?

154: 人間七七四年 2008/04/13(日) 10:03:14 ID:rzOWZXip
149です。

>>153
六角義賢の関心事は畿内の情勢。
斎藤義龍の関心事は美濃の統治。

六角・斎藤の同盟の内容は『両家の不可侵&対浅井長政戦略』かな?



163: 人間七七四年 2008/06/14(土) 01:46:37 ID:xYR/8ti/
>>153
六角は観音寺騒動以降家中が混乱してとてもじゃないがまともに連携なんて出来ない。

155: 人間七七四年 2008/04/26(土) 15:55:19 ID:qgnEx3Tm
六角は京の争いに介入してきた一族だからね。
六角からみれば背後の不安を無くす というところだろうか。
斎藤はどの程度尾張を不安視していたのだろう?

157: 人間七七四年 2008/05/13(火) 14:01:45 ID:GJVUuoHt
道三のときは六角とはどうだったの?

158: 人間七七四年 2008/05/27(火) 15:27:35 ID:ZsjkE3tI
土岐頼芸の室は六角定頼の娘だし 頼芸はまず近江に逃れている。

165: 人間七七四年 2008/07/07(月) 16:04:16 ID:lKsn8Lo/
六角が影響力持っていたのはやはり定頼の時代だな。

173: 人間七七四年 2008/09/12(金) 15:36:04 ID:gXeMNN/I
興龍はなんで美濃を退去したあと、一色を名乗ったんだろ?

174: 人間七七四年 2008/09/22(月) 13:49:21 ID:u/KERpHS
>>173
母親が一色氏の出だったからでは?

175: 人間七七四年 2008/09/22(月) 15:06:20 ID:oqpiiboX
斎藤義龍も一色を名乗ってるよ

190: 人間七七四年 2009/02/06(金) 20:01:41 ID:wv51c67d
森可行、可成親子は一体何時ごろまで斎藤の家来だったんだ?

191: 人間七七四年 2009/02/19(木) 15:09:57 ID:ZR/ugDLr
道三の死後に織田に仕えたのかな

192: 人間七七四年 2009/02/19(木) 18:37:11 ID:bwjfqjqV
道三死ぬ前から寝返ってたみたいだ。
1554年の織田の戦でもう森の名前がある。

元々、代々土岐氏に仕えてる家柄だからあまり道三と仲は良くなかったのかも。

193: 人間七七四年 2009/02/20(金) 19:03:12 ID:s7NaiLEP
一部の土岐旧臣の抱きこみに失敗してた感がある道三

森可行&可成親子(土岐氏譜代の家柄)
坂井政尚(森と同時期に出奔)
金森政近&長近兄弟(土岐氏庶流)
蜂屋頼隆(土岐氏庶流)

存命中にこれだけ逃げられてしまった。しかも織田に。

202: 人間七七四年 2009/04/22(水) 13:39:04 ID:+j5r575Q
>>193

織田家に寝返ったというのは深い意味が有るんじゃない?
いずれは義龍に自分が破れるのを見越して、娘婿のところに
やったって言うのは?ないか?!

203: 人間七七四年 2009/04/22(水) 14:26:35 ID:WD+ZU0Fk
>>202
森と坂井は、信長と濃姫の婚姻前だからないんじゃないか?


森可成の正室は、濃姫についてきた美濃衆の娘で、信長が仲を取り持ったと言われるが、
道三に従った美濃衆と、離反した美濃衆の結びつきを強くして、
尾張での美濃衆同士の反目を防ごうとしたんだろうか?

194: 人間七七四年 2009/03/07(土) 15:05:49 ID:My8y8C65
土岐旧臣は含む所あるだろな。

195: 人間七七四年 2009/03/19(木) 15:24:14 ID:m5E+LslC
当然といえば当然。

206: 人間七七四年 2009/04/22(水) 20:09:03 ID:qFkDF/2M
寝返ったというより美濃から排除されたのかもね。

261: 人間七七四年 2011/01/01(土) 19:05:04 ID:nSd6dCnF
鎌倉幕府文官斉藤氏の子孫は春日局の兄弟が旗本にいたよな?
道三系は本能寺で信忠と共に滅んだんだっけ?

269: 人間七七四年 2011/06/17(金) 00:46:47.55 ID:j8cMgChd
利治は信長信忠に厚遇されていたらしいけどそんなに優秀だったのかね?
確かに飛騨から越中に侵攻して上杉軍を撃破する大戦果上げているけど

270: 人間七七四年 2011/07/21(木) 17:56:44.63 ID:BSs0KisJ
新五郎は優秀かどうかよりも、信長に国譲り状を残した道三の実子で、
その国譲り状を信長に実際に渡したと言われる人物だし、
信長正室で信忠の養母濃姫の実弟な訳で、その人間が信忠につけば
わざわざ道三の名である勘九郎をつけた信忠の美濃支配が巧く行くという
思惑そのものも大きく働いていると思う。