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1: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 20:00:42.22 ID:kevF3o8G0 BE:155743237-PLT(12000)
海外研究者たちは“日本史の平和さ”に感心している!? 古代の戦いから日本のかたちが見えてくる!
2019/1/24

明治に鎖国が解かれて以降、緊張した国際関係の中で諸外国との争いが絶えなかった歴史がある。
だが、それ以前の時代に目を向けると、日本人の争いといえば主に「内戦」。
地理的条件も手伝って、外国からあまり攻撃されることがなかった日本では、
「武士」が台頭してから日本人同士による「内戦」が繰り返されてきたのは一般に知られるところだ。

第一線の古代史研究者・倉本一宏氏の『内戦の日本古代史(講談社現代新書)』(講談社)を読めば、
そうした内戦はいきなり武士の世になって勃発したわけではなく、壬申の乱など
古代から繰り返されてきたことがよくわかる。よくもこんなに狭い国土でそんなに争ったものだ…と思ってしまうが、
実は日本の内戦の数や規模というのは、中国やヨーロッパ、イスラム社会と比較するとかなり小さなものらしい。
実際、著者の友人の海外研究者たちは「みな日本史の平和さについて感心(かつ感動)している」というのだ。

なぜ「平和」なのだろう? 本書では倭王権の成立時から武士の世の胎動までの内戦を通じて
日本のかたちを捉え直そうと試みるが、その中からみえてくる答えの鍵は「王権」のあり方だ。
(後略)

https://ddnavi.com/review/514659/a/

2: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 20:01:35.63 ID:mMa43dnP0
俺も先月行った

7: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 20:06:07.85 ID:n5zVmwf60
そもそも上洛したら何なの、今川義元が何になるの(・ω・`)

22: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 20:22:10.94 ID:NrlE6gL90
越後から京都までの諸勢力は長尾の上洛軍を通過させてる
殺し合いしてた加賀一向一揆までどうぞどうぞと通してくれた

63: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 22:21:48.50 ID:S8Vc7NA60
>>22
なんかよくわからんなほんと
船じゃなかったんか

24: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 20:24:23.45 ID:lIzdzwp80
軍隊を率いて行くのとわずかな家来と船に乗って挨拶に行くのでは違うだろ。
今川家は足利一門の名家で足利将軍を出せる家系だし

27: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 20:34:26.11 ID:Ux0JMqDh0
>>24
永禄2年の上洛で謙信(当時は景虎)は越後の精兵5000人を陸路で京まで連れてってる

31: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 20:43:34.93 ID:lIzdzwp80
>>27
そこは諸説ありだけどな

33: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 20:44:49.96 ID:NrlE6gL90
>>24
足利が死に絶え吉良が死に絶え、今川にお鉢が廻ってくる頃には幕府滅んでるつーの!と思う

98: 名無しさん@涙目です 2019/01/25(金) 04:45:27.60 ID:GKHKQqKE0
>>33
軍事力を背景にすればなれるだろ
秀吉が藤原家を差し置いて関白になれるような時代なんだから

28: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 20:36:07.93 ID:SJns0VTs0
将軍が迎えたからな

29: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 20:36:45.53 ID:HWzk/AEh0
上杉謙信はかっこいいけど名前変えすぎ
そこだけ好きになれない

40: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 20:53:01.59 ID:Ux0JMqDh0
>>29
謙信も信玄も法名だからな
お前も仏門に入ったら名前は授かるよ

136: 名無しさん@涙目です 2019/01/25(金) 17:14:22.69 ID:OtSgTv9H0
>>29
第4回川中島合戦の時は
上杉政虎vs.武田晴信

でしたか?

それにしても謙信は格好良いですねえ。

138: 名無しさん@涙目です 2019/01/25(金) 17:37:02.67 ID:KWaiPz4X0
>>29
吉弘千熊丸→高橋彌七郎→高橋統虎→戸次統虎→立花鎮虎→宗虎→正成→親成→尚政→政高→俊正→経正→信正→宗茂→立斎

36: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 20:47:29.80 ID:cGQEqdko0
そりゃ領地狙いじゃないんだし
迎え撃つ方が馬鹿らしいだろ
無駄金に終わるわ

今川義元の上洛みたく、明らかに侵攻も兼ねてたら話は別

42: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 20:58:08.94 ID:OrpU8NHk0
大陸の戦争は負けた方は民族が滅びるからなあ
統治者が変わるだけの日本は平和に見えるわな

64: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 22:24:19.03 ID:ppd39F0u0
日本らしいルールを決めて和をもって内乱してたんだよな戦国時代
ときどき隣国とプロレスしながら自国を保持
信長みたいなイカレが出て来て時代が動いた

65: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 22:39:38.43 ID:OnLGaz/w0
>>64
三好長慶とかその片鱗がみられる武将は
結構いるし

下克上の先駆者
朝倉英林孝景公の理想を体現したのが
信長だったりする

80: 名無しさん@涙目です 2019/01/24(木) 23:54:07.47 ID:k+FmHBky0
>>65
東北でそれやったのが伊達政宗だよな
東北勢はそれまでウフフキャハハハとゆるくマナーある合戦してたのに
突然ガチのナデギリにナデギリする政宗登場で恐れ慄いてみんな敵になって
でも喧嘩もそうだけど狂ってるほうが勝つから東北大名は次々に破られてしまった

109: 名無しさん@涙目です 2019/01/25(金) 11:02:32.63 ID:gFyOuDnU0
上杉謙信がしたような上洛は将軍と天子へ貢物を持参しての訪問
それを妨害したら天子・将軍の客への無礼になるから妨害できない
武力制圧とはまったく意味が違う
武士にとっての戦いとは何かって定義が難しくて一概い言えないが
例えばボクサーがタイトルマッチのリング上で戦うのと呑みやで遭遇してケンカになって戦う
のでは意味が違うのと同じで後者の場合たとえ勝ってもチャンピオンベルトが手に入らない
武士にとっての戦とは一種の公式戦である程度の身分がなければ公式戦を主催できない
その頂点が将軍だった
そんな武門の風が価値を失い近代風の軍事力という概念に転換してゆく過渡期が戦国時代で
その先頭に立っていたのが信長だった

139: 名無しさん@涙目です 2019/01/25(金) 18:05:49.54 ID:zJByw/xq0
大内も上洛してるけど途中の大名は妨害しなかったのか?
大内と京都の間に赤松とか細川とか居ただろ

140: 名無しさん@涙目です 2019/01/25(金) 18:40:19.48 ID:hPgFJYji0
>>139
大内義興のライバルであった細川政元が暗殺されると京兆家と将軍家で家督争いが勃発
前将軍足利義尹を擁立する細川高国&大内義興連合軍と
現将軍足利義澄を擁立する細川澄元の戦いになった

足利義尹が備後にまで進軍した際に細川高国も呼応したため
足利義澄らは近江に逃走し、その後、船岡山合戦で激突する
赤松義村は細川澄元側だったが船岡山合戦の敗北後に義尹側についた

150: 名無しさん@涙目です 2019/01/26(土) 09:23:57.00 ID:eHTMFqxm0
>>140
足利と足利、細川と細川で内戦してて意味がわからないw
幕府ガッタガタでもそんな事してるのか
別に大昔から珍しくも何ともない事だけどさ

169: 名無しさん@涙目です 2019/01/26(土) 19:12:46.94 ID:3IcNqftD0
そら毎日合戦してたわけじゃないし

119: 名無しさん@涙目です 2019/01/25(金) 12:43:58.31 ID:/oYnUCt40
越後からちゃんと京都まで安全に行くの大変なんじゃないかと思ってた。

近江あたりの大名とは対立もしてなかったって事なんだろうけど