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1: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:24:05 ID:YJV
今回のネタは戦国時代末期から江戸時代初期にかけて活躍した
医師曲直瀬玄朔(まなせげんさく)が記した「医学天正記」という史料です。

中国医学をベースにした玄朔の医術は当時においては勿論現代においても
評価されるほど優れたものでしたが、その対象は皇族や戦国武将といった著名人から
名も無い庶民の赤ん坊まで幅広い層に渡っています。

その中から興味を引いた診察例を幾つか紹介しますが、所詮素人の書いたもの。
アレな部分もあるかと思いますのでツッコミ上等でお願いします。

2: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:24:45 ID:1AP
米ばかり食ってて糖尿病が多そう

4: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:26:24 ID:YJV
【毛利輝元】
●下痢、下血、みぞおちの張り痛み、足の痛み
 1587年春35歳の時の診察記録。秀吉に従って島津征伐に赴いた際小倉で発症。
「沈痾」(持病)が悪化したらしくついには歩行不能となったため秀吉の命を受けた

玄朔が駆けつけて治療にあたることになった。おかげで馬に乗っての移動が出来るまでは回復したが完治したのは島津氏降伏後居城吉田郡山に帰って以降の秋で、それまではずいぶんとキツい遠征の日々だったのでは。秀吉も早退させてあげたらよかったのにね。

●痰のつまり、動悸、手足の疼き
 症状は若干違うがこちらでも「五六年以来」(の持病)と記されているので上の診察記録と
病因は同じかもしれない。総合してみるとビタミン欠乏症のような気がするがなんとも言えない。

5: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:27:40 ID:8Nq
これは痔持ちが出ますね(予言)

16: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:38:18 ID:YJV
>>5
痔の診察記録もありますが今回は登場しません

18: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:40:03 ID:8Nq
>>16
そうか、残念やな
まぁ現代でも大半の人が痔なわけで昔の人はもっと痔の人多かったやろうしな

28: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:52:28 ID:YJV
>>18
痔の診察例は案外すくなくて2件だけで、いずれも若い武士。
現在と住環境や食生活がだいぶ違うので痔持ちは少なかったかもしれません。

6: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:27:48 ID:YJV

【片桐且元】
●酒の飲みすぎによる下痢または感冒
●発熱
●背中の腫れ物、頭痛、味覚障害
 風邪っぴきだったのか発熱による診察記録が複数回残されている。
背中の腫れ物の正体はよくわからないが死亡時の記録は腫れ物ついて触れてないので
タチの悪いものでは無かった可能性が高い。

7: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:29:01 ID:YJV

【浅野幸長の妻】
●妊娠後期と産後の諸症状
 診察当時20余歳。玄朔が診察した妊娠8ヶ月の時点で彼女は睡眠障害と
目の痛みに悩まされていたが、本当に大変だったのはやはり産後。

物も言えず食事も喉を通らず「恍忘如愚」という状態が30日に渡って続き、
これを水分補給でしのぐ有様。玄朔の投薬によってその後彼女は回復するが
当時の医療技術下における出産がいかに母体に負担を強いたものであったかが伺える。

8: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:30:35 ID:YJV
【蒲生氏郷】
●下血、手足の腫れ、腹部膨張、顔の変色
 朝鮮半島への出兵のため滞在していた名護屋で発症。肝硬変らしい。
当初堺の医師宗叔という者が治療にあたるも腫れが増すなど病状が回復しなかったため秀吉の意を受けた徳川家康と前田利家は総勢9名の医師団を結成。当時の豊臣政権において氏郷がいかに重要な人物であったかが伺える。
 
それでも病の進行は止まらず痺れを切らした利家は玄朔に宗叔からのバトンタッチを頼むが宗叔が匙を投げていないから、という理由でこれを拒否。結局氏郷はまもなく40歳の若さで死去する。

玄朔が氏郷の治療を断ったその真意は宗叔への義理立てだったのか、「もう遅い」という諦めだったのか、或いは「最初から自分に任せておけば」という憤りだったのか。
 
ともあれ自身が治療に携わっていないにも関わらず氏郷の記録は600字超と「医学天正記」の中でもっとも長文なもので、玄朔にとってよほど印象深い出来事だったと思われる。

9: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:31:38 ID:YJV

【黒田長政】
●酒の飲み過ぎによる発熱、胸やけ、腹痛
 要するに二日酔い。「医学天正記」には酒の飲み過ぎを病因とする診察記録が数多く残されているが、これは酒に弱いという日本人の人種的特徴が背景にあるのかもしれない。

●口と舌の歪み・引きつり、頭痛、鼻孔の塞がり
 これは「医学天正記」の改訂版ともいえる「延寿配剤記」の診察記録なので番外編。
自立神経失調症と思われる。
空気抵抗の高さで定評のある「一の谷形兜」による頚椎へのダメージが原因という可能性は(たぶん)無い。

10: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:31:38 ID:1AP
いろいろいるんやなあ

11: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:32:50 ID:YJV

【立花宗茂】
●腿の痺れ、踵の痛み、声のかすれ
 「医学天正記」には「立花氏」としか書かれていないが「延寿配剤記」では
「立花左近」と訂正されており左近将監宗茂の記録とみて間違いない。
症状から関節リウマチなどの膠原病に罹っているのではないかと思うがよくわからない。

12: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:34:00 ID:YJV

【藤堂高虎】
●悪寒、喉の痛み、下痢
 風邪ですね。「普請入水而」との記述があり、原因は築城現場で水に浸かって作業をしたか落っこちたかのいずれかだろう。玄朔著の異本「玄朔道三配剤録」では診察日を1606年4月としているが
この時期玄朔は京から江戸に移住しているので同年に始まった江戸城改修現場での出来事と思われる。

13: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:35:22 ID:YJV

【豊臣秀次】
●「上顎破損」、咳、発熱、顔の腫れ
 「上顎破損」は「久患」つまり長患いと書かれているが正体がよくわからない。
外科医の治療に効果が無かったと記録されているので外傷ではなく歯周病の類いかも。

●のぼせ、下半身の冷え、喘息
 1593年秋、秀次は精神疲労を癒す為熱海へ湯治旅行に出掛けるが親密な仲にあった玄朔もこれに同行したらしい。バカンス当初は食も進んでウッキウキ状態だったが調子に乗ってしまったのか風呂の入り過ぎで喘息を発症。

翌年以降秀吉との関係が悪化した秀次は最終的に謀反の疑いで自害に追い込まれるがそれを暗示するかのような温泉旅行であった。

14: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:36:36 ID:YJV

【小早川秀秋】
●「酒渇」、嘔吐、胸中の閉塞感、食欲不振、血尿、舌の変色
●全身の黄疸、みぞおちの痛み、食欲不振、渇き

上が19歳、下が18歳の時の診察記録。「酒渇」は酒の飲み過ぎ原因とする喉の渇きでアルコール依存症の患者によく見られる。黄疸症状についても玄朔は「酒疸」としており
その他の症状も併せて考えると慢性のアルコール性肝炎ではないかと思われる。
 
関が原の戦いにおける裏切りの悪評に耐えかねて酒に走ったという説もあるが秀秋と親交の深かった近衛信尹の証言によれば少年時代からすでに酒浸りの日々だったらしい。

21歳での若死には大谷吉継の祟りではなく自らの不摂生が原因だったというオチ。

15: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:38:00 ID:xrt
>>14
玉蹴られて死んだとかいう悪質なデマ

19: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:40:06 ID:x7H
>>14
両腕を切った山伏に足の指で持った刀で切り殺されたって聞いたんやが…

41: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)22:45:11 ID:YJV
>>15
>>19
秀秋の最後は鷹狩の途中気分が悪くなってその二日後に死亡したという記録を
聖護院道澄という僧侶が残していますがこれが実際のところと思われます。
山伏だのキン〇マーだのは江戸時代の軍記物のネタで典型的俗説ですね。

17: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:39:46 ID:YJV

【淀君】
●鬱、胸のつかえ・疼き、食欲不振、頭痛、めまい
 受診時の年齢は「三十余歳」と記されているので関が原の戦いから数年後の記録となる。
小説やドラマでは勝気で空気の読めない女性として描かれがちだが診察記録からは
女性らしい線の細さが伺えて印象は幾分違う。

20: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:40:57 ID:YJV

【豊臣秀頼】
●悪寒、頭痛、下痢、発熱、発疹
 子供時代の診察記録。1600年代初め頃に京大阪周辺で流行した天然痘に罹ったらしい。

●肺の咳、呼吸時の痛み、食欲不振、お腹の張り、息切れ
 肺炎だろうか。秀頼をかなりの肥満体と記した「長沢聞書」は江戸中期の1702年成立の書物だが秀頼存命時の記録である「医学天正記」にはそういった記述は無く症状にも肥満体固有のものは見られない。 

23: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:42:21 ID:YJV
【不破直光】
●のぼせ、赤面、眩暈、大量の吐血、動悸、黒い血便、痰のつまり、腹部膨張
 以下誰だよ禁止。「一椀計日二三次七八日不止」とかなりの吐血をしたにも関わらず一命は取り留めている。

「二十余歳」にして「肥満上実之人」と記されており、各症状と併せて考えれば脂肪肝が進行した肝硬変が第一容疑者となるか。ただ、亡くなったのがこの診察から20年後である事からすれば末期では無かったか、
或いは消化性潰瘍を疑うべきかも。

24: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:43:03 ID:SNs
やっぱ水だよなあ・・・
綺麗な水が飲めないと長生きできなさそう

25: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:43:36 ID:ItR
この時代のアルコールとかヤバイものだったんだろうな

32: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:56:54 ID:YJV

 以上。「医学天正記」は当時の人々の健康について知るうえで、また政治史を読み解くうえでも有用な史料ですが、また同時に激動期を生きた医師玄朔の自叙伝であるとも言えます。
 
なお「医学天正記」はネット環境さえあれば「国会図書館デジタルコレクション」にて閲覧可能ですので興味の湧いた方は読んでみてはいかがでしょうか。

33: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)22:01:50 ID:dzH
乙やでー。
秀秋、いっそ裏切りの悪評に耐え兼ねていたほうがまだマシだったんじゃw

39: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)22:23:33 ID:KaS
この手の本だと「戦国武将の死亡診断書」てのがおもろかったな

40: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)22:32:28 ID:YJV
>>39
あの本はまともな史学者なら相手にしない俗説が載ってるレベルの本なので
買ってしまった人は資源ゴミに出しても構わないですよ。
死因本なら「カルテ拝見 : 武将の死因」のほうが遥かに内容は充実していてオススメです。

36: 名無しさん@おーぷん2015/05/23(土)22:08:27 ID:jp5
曲直瀬玄朔ググってきた 道三の甥っ子で養子なんだね
こんな時代によく人治せたなぁ 病気かかっちゃったらもう観念するしかないでしょこの
当時の常識じゃ すごいわ

44: 名無しさん@おーぷん 2015/05/24(日)09:47:41 ID:FBn
おもしろかった。