sanadamaru095


1: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 14:27:21.93
武田信玄って、裏切りまくって周りの国との外交を事実無効化して
勝頼の時は信用無さすぎて外交が出来なくなるし、

戦争が強いといっても戦略眼がすごく高いわけではなくて
削れる領土から削っているだけで戦略的に戦争している感じではないし、
戦争が強いという理由は甲斐の国は寄生虫のために米が生産できず頼れるのが
信玄しかいなかったため狂信者になって死兵と化していたから強かっただけと感じた。

内政も甲斐の国に信玄堤という治水を行ったけど、ただでさえ米が生産できない関係で
領民は貧民だったのに信玄堤を作る関係で課税して領民を疲労させているし

信玄の評価として甲斐の国のカリスマ教祖としかイメージが湧かなかった。

結局、信玄の何が凄かったのが教えて

2: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 15:44:13.90
天下人たる神君家康公が尊敬してたから
偉い人がそんけーしてるんだから偉いんだろう的な

3: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 16:00:03.46
やっぱり、初夢と同じで家康が尊敬していたから信玄は凄いといういう抽象的な理由なのかね。

5: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 19:10:48.45
司馬遼太郎の坂本竜馬みたいなものかね。

6: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 20:47:34.10
貢献度ランキング

1位 新田次郎
2位 小幡景憲
3位 徳川家康

ここらへんは不動の順位だろうと思う。

7: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 21:15:00.55
信玄が過大評価されているせいか勝頼が割を食っている感じ。

勝頼の時は信玄の時みたいにカリスマで家臣団を纏められないから
家臣団を纏めるために戦争して領土を分捕っていかないといけないし
外交しようにも信玄が裏切りまくっていたせいで信用が無いせいか外交ができないし。

実際、信玄の後を勝頼が跡を継いだのは一門集がすぐに裏切れるように押し付けたという
説もあるし。信玄も勝頼は名前に『信』がないことで分かるように期待してなくて信玄の跡を継げる人物でなかったみたいだし。

8: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 21:19:28.71
世間の評価はさほど高くないよ
人気が高いだけだわwww

9: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 21:25:20.96
小幡景憲が信玄と謙信を神格化して勝頼を超ボンクラな代表として紹介したからだよ。
ちなみに家康は勝頼を過小評価などしてない。新田次郎も勝頼を悲運の将として描いたが割と有能に描いてる。

12: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 21:37:02.23
>>9 勝頼が悲運の将になったのは主に信玄のせいだからね・・・

勝頼が取れる選択肢が信玄のせいで一気に狭まった感じ。

17: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 21:49:02.84
>>12 甲斐という国に寄生虫がはびこっていたため米を作れず鉱山も勝頼の時代には枯れたという話だし
経済を立て直す余裕が全然ない。
取れる手がほぼ無い状態みたいだし。

信玄自体が甲斐の国を豊かにするために豪族たちが信玄を担ぎ上げて
中央集権にしようとした信虎を追放したという話だし。

18: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 21:50:34.75
>>17
あとで検証されたけど実際は江戸時代中期まで甲州金は思い切り徳川幕府を支えてたんだよね。
信玄が死んだ頃に枯れたというのは新田次郎が広めてくれた俗説。

23: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 22:00:14.46
>>18
信玄の時代は金貨にするという概念が無かったみたいで贈与品とか装飾品に使われて国の経済を左右する力はまだ無かったみたい。

24: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 22:00:56.12
>>23
金貨の四進制は武田信玄が決めたんだけどね

10: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 21:33:51.63
信玄のせいで外交を封じられ、家臣団を纏める、甲斐の国を豊かにするという条件では侵略するしかないからね。
勝頼が謙信・佐竹と同盟したと言ってもあまり中身のない同盟みたいだし。

11: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 21:35:12.60
信玄は砥石崩れで勝頼は長篠の合戦で大失敗したが
前者は運よく立ち直れた、後者は立ち直るチャンスを信長が与えてくれなかった。
そういう差だと思うけど。

14: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 21:41:08.07
>>11
勝頼の時は家臣団を纏めるために戦争で勝ち続けて領土を分捕る必要があるから 長篠の合戦で勝頼が負けた時は膨らんだ風船が限界が来てしぼんだというイメージ。

信玄の時は信玄のカリスマで家臣団を纏めていたからそこまで致命的にならないかったという感じ。

13: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 21:38:02.57
もし勝頼の中の人がアウグスティヌスか諸葛亮孔明だったら甲斐・信濃を守り切れたかもしれないが
普通の青年じゃ無理。

16: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 21:45:52.06
カエサルだったら普通に長篠の合戦で勝ってたっぽいしな。
戦い方があまりに稚拙すぎた。
鉄砲のせいだけで負けたわけでもない。

21: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 21:56:44.60
>>16 勝頼の時は家臣団の纏まりが全然なかったみたいだし。
家臣が言うことを聞いて合戦できたとは全然思わないし。
長篠の戦いは鉄砲のせいというよりも死亡数の多いことから三段撃ちではなくて包囲戦を食らったためという話もあるし。
包囲戦を食らって家臣団を纏めていた重臣が戦死したことが一番痛かったかも。

28: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 22:22:06.82
そもそも、勝頼は諏訪家の人質の子で、なぜ武田家当主になったのか不明。
勝頼は信玄が亡くなった時点で諏訪家を復興するのが普通なのに、
罰ゲームの武田家当主になったのか不明。

29: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 22:50:57.74
勝頼か実弟の仁科しか適任者が居なかったわけだし

30: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 22:56:34.00
感覚としては信長が死んだ後、信孝が継いだような感じだよな。
当然、一癖も二癖もある軍団長たちをまとめる器ではない。

34: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 23:28:18.13
ハッキリ言うとヒトの本質を見極める眼力が無かったんだと思うよ。
それさえあれば真田家に身を預けて乞食にやつして越後・みちのく方面で生き延びた可能性は十二分にある。
信長って案外、落ち武者狩りが甘くて斉藤やら六角家やらその他の元大名がのうのうと生きてるケース多かったし。

38: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 23:40:48.00
>>34 親戚が自分を裏切ることは考えないし。
勝頼も真田家は評価していたみたいだが親戚筋である一門集の小山田に保護すると
声かけてもらったら、やっぱり無条件で行っちゃう。

35: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 23:37:07.63
長子が後を継ぐのではなくて愛人の子 勝頼が後を継いだら
家臣達は勝頼の言うことは聞かないなと思った。

勝頼の取れる手としたら家臣たちを粛正するという手もあったが
粛正すると国がバラバラになるから結果を出し続けるしかなかった。
戦争にずっと勝って領土を分捕って家臣たちに分配する結果を出し続けるという
血を吐き続けるマラソンをするしかなかった。

そら武田家最大の領土になるなと。

36: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 23:37:12.83
景勝は本人が有能かどうかは怪しいけど
ヒトを見る目だけはあったよな。

41: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 23:44:23.87
信長も自分の叔父と叔母と弟をぶっ殺して粛清し
激しい権力闘争を勝ち抜いて大名になったわけだし
戦国期にはそれが必要な能力の一つだったし。

42: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 23:48:25.77
最近ではサウジ家の皇太子のお手並みが見事すぎた。
自分の兄弟や叔父や甥たちをまとめて逮捕し財産没収し
10兆円以上をカツアゲして彼等を釈放してやった。
金が無ければ彼等も逆らえないし。

46: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 23:58:22.71
軍の一司令官としては有能だったけど
一国の宰相とか国主とか総司令官の器ではなかったよな。全然。
せめて自分が無能だと認識し優秀な人間に采を預けるだけの器さえあれば・・・
景勝しかり劉邦しかり。でもヒトの才能や忠誠度を見極める眼力が無いから
結局生き残る術は無かったろうな。

52: 日本@名無史さん 2018/03/04(日) 00:17:51.62
伊達政宗の処世術もたいしたものだと思うけど。

68: 日本@名無史さん 2018/03/04(日) 01:31:10.34
武田が滅び織田が本能寺の変で弱体化し、合わせて数百万石がわずか3ヶ月でいっぺんに餌場と化した
その餌場獲得戦に勝利したのが秀吉だった

72: 日本@名無史さん 2018/03/04(日) 13:44:49.08
信玄の経営手腕って微妙だよな。
確かに米穀経済ではなく小判をメインとした貨幣経済を確立し
甲斐善光寺を作り(武田家は本来は浅間山信仰だった)信徒を呼び込む事により
経済を回そうと考えたのはセンスあるが。

商都として考えたら躑躅ヶ崎館を拠点としたのはあまりにセンスが無い。
信長だったら間違いなく真っ先に新府城へ遷都し、その後は諏訪と新府城を中心とした
大物流を作ってたことはほぼ疑いない。

ろくな経済ブレーンを持たなかったんだろうんな。信玄の重臣や政権に大物商人って居ないし。 ぶっちゃけ謙信や氏政や義元よりも経済センス無い気がする。

73: 日本@名無史さん 2018/03/04(日) 14:07:36.64
>>
72
信玄が経済センスがないというか本拠地の甲斐で米の生産が寄生虫のせいで
できないので蛮族経済に走るしかなかったと。
外交も甲斐という国の米が生産できなければ条約無視して他の国に侵略するのはわからないでもない。

ただ、この蛮族経済はカリスマがある信玄だからできた手法で信玄が亡くなれば没落するしかないと。

82: 日本@名無史さん 2018/03/05(月) 09:15:18.09
信玄はぶっちゃけ田舎大名だったな

84: 日本@名無史さん 2018/03/05(月) 20:41:59.91
>>82
この時代畿内以外は皆田舎だ

19: 日本@名無史さん 2018/03/03(土) 21:53:44.14
ちなみに甲州・信州は富士川・長良川という日本海へも太平洋にも出られる大動脈を持ってて 甲州金だけでなく翡翠などの宝石も多く獲れ、甲州街道などを通じて関東と関西を繋ぐ裏の大動脈だった。
普通に商都として大きくなる可能性を秘めてた。

その事自体は武田勝頼もハッキリ認識し流通革命自体は既に始めてた。その中心地が韮崎市・新府城。


引用元;http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1520054841/