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1: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 18:45:33.90 ID:SD/fhiKE0 BE:194767121-PLT(12001)
木村拓哉も若き日を熱演!「織田信長」雑学クイズ
https://taishu.jp/articles/-/60028

2: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 18:48:36.97 ID:KDoAK2gR0
ノブヤボやると織田軍団カネモチ過ぎてワロス
上杉とか武田とかクソ田舎の山奥大名ども貧乏すぎてワロス
そりゃ天下布武もできるわな

12: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 18:56:16.50 ID:6BaP67ja0
>>2
甲府の金山はいまいちだったのかね。
反対に石見銀山は相当なものだったようだが。毛利も血眼になって確保したらしいし。

21: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:06:14.25 ID:ZO0hKxIc0
>>12
それよりもあのあたりは交易利権がスゴイ
陶晴賢も毛利元就も大友宗麟も大内の交易権を継承しようと躍起になったが
失敗に終わった

23: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:07:05.98 ID:6BaP67ja0
>>21
その交易権はどこに消えたの?

35: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:30:23.73 ID:9x9zNbPH0
>>23
大内義孝を陶晴賢がぶっ殺して大友宗麟の弟の大友義長を大内義長ということにして奪った日本国王乃印持たせて明に朝貢貿易再開のお願いに行ったら
「お前偽物の大内氏だろ?」と明にバレてそれ以降貿易させてもらえなくなっちゃったのよ

69: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 23:51:36.68 ID:ZO0hKxIc0
>>35
大寧寺の変はセルフ経済制裁だからな
実は外交問題だった寧波の乱と同じくらい中世の大事件の割に
研究する学者がいない不思議

36: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:30:26.39 ID:3oYetLvK0
>>23
交易量自体が減少したんじゃないの?
倭寇問題とか銀の流入とかあったから
明もこっち見んなよ状態だったし

81: 名無しさん@涙目です 2018/06/30(土) 15:10:05.36 ID:9S4TQZfN0
>>2
天道かなんかでは武将多すぎて給料だけでキツキツだったよな(´・ω・`)

7: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 18:51:34.54 ID:5GM78hYG0
信長なんかより松永久秀の方が最新研究でイメージ変わりすぎてやばい

11: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 18:55:00.29 ID:9x9zNbPH0
弾正忠家が他のニ奉行圧倒し清洲織田家まで食っちまったのも銭の力だよな

18: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:03:03.18 ID:u0x2kl1I0
センゴクで知った

22: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:06:32.74 ID:N/qfONfY0
実は、尾張の主流派になったのも

24: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:07:42.00 ID:KDoAK2gR0
豊かな平地も重要だが
港の破壊力がハンパねえ
そりゃ常備軍も作れるわ

28: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:12:26.76 ID:jLI/eIEj0
切れ者と評判だった親父の信秀が勝った事が無いレベルで
圧倒的に強かったのが道三

30: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:13:12.20 ID:n6zMg9ik0
貢がせ上手

32: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:15:20.27 ID:4Pp0M/Py0
そしてその信秀は親父の信貞から引き継いだ
尾張の守護代の三奉行でしかなかった織田弾正忠家の礎を築いたのは他ならぬ織田信貞

33: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:18:22.63 ID:w7r2Mk3U0
土地柄が商人的志向だったのだろう
三河や駿河ではその考え方は嫌悪されていた

34: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:23:07.73 ID:nXDTUrLHO
土地よりも 堺 大津 草津 の税収ね

38: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:32:45.90 ID:HKbxH1gp0
先祖は神社の神主か何かなんだし
商売に詳しいのは当たり前なのかもしれんな

39: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:33:10.19 ID:8Rv0Wi5M0
信長の本拠地移動も親父譲りだってさ
他の戦国大名はなかなかできなかった

40: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:33:45.73 ID:PPCo4mD50
相撲の土俵のサイズを決めたんだよね


ダウンロード (1)
46: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:47:05.93 ID:XWR6aekz0
>>40

no title

56: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 20:38:31.66 ID:PPCo4mD50
>>46 天翔記好きw
あの城取り合戦と武力UPシステムこそ完成形態だと思う(`・ω・´)

ただ前作に比べると茶器の価値がなくなっちゃったのがね 
教育システムは経験累積UP制にしてほしかった  リセットやり直しばっかになるから

41: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:34:19.04 ID:uiJkg1U50
それ以前に今川の内政策だろ。

42: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:35:48.70 ID:CoqGtYqK0
やっぱり地の利ってあるよな 甲斐なんて現在でも人口80万くらいしかいないような
可住面積が少ない国を本拠地にしてたんじゃ発展のしようが無いもの
信玄もやっと山から出て来た所で人生終わっちゃったし

43: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:40:31.60 ID:Qga52odQ0
金で強くなった織田信長を一番苦しめたのも金で強くなった石山本願寺

47: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:48:51.81 ID:joyzo0+g0
信長調べていくと尾張統一までの間、織田の人多すぎ

49: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:54:15.77 ID:9x9zNbPH0
戦国時代の海岸線を現代の地形にマッピングしたのを水野氏史研究会ってとこが作ってる
no title

濃い青が当時の海岸線
当時の津島は東海道の陸の最西端で木曽川の出口と桑名や伊勢や京都の入り口になる交通の結節点だったのよ
物と情報が集まる街

108: 名無しさん@涙目です 2018/07/02(月) 07:18:03.45 ID:OTluqwIt0
>>49
津島湊は陸路と水路の交わる交易の中心地で、そこからの租税で織田家は莫大な収入を得たからね

50: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 19:55:32.29 ID:BbtzJVpH0
戦のやり方まで父のやり方だったから乳が天才なんじゃねえの?

53: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 20:12:21.79 ID:GFiGp6tj0
焼香投げのパフォーマンスも一子相伝

57: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 21:01:13.68 ID:bq8qOb2H0
信秀より舅の道三だろ
信長のやった事って基本マムシの拡大再生産

60: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 21:11:16.30 ID:GYEYF/qF0
楽市楽座は佐々木承禎の方が先にやってたんだっけ

88: 名無しさん@涙目です 2018/07/01(日) 03:58:44.30 ID:dPplVZ0k0
>>60
その後斎藤道三も取り入れてたから
信長はおそらく美濃攻略時に斎藤家から引き抜いた家臣から教わって実施したんじゃないかな
支配地の開発体形も岐阜城以前以後でだいぶ違うし

65: 名無しさん@涙目です 2018/06/29(金) 22:07:50.10 ID:g1o/+Ezv0
織田は弱小という扱いになってるけどそうじゃない
祖父の信定から熱田と津島湊の商都で儲けてた
織田家は金持ちだ

80: 名無しさん@涙目です 2018/06/30(土) 15:04:53.49 ID:2AROymdj0
国友鉄砲記には「天文18(1549)年7月18日に、橋本一巴を通じて信長から六匁筒500丁の注文を受けた」とあり、
これらの記録から信長は16歳の時には既に鉄砲と接していたと言う事が分かります。


これからずっと鉄砲を研究してた信長

91: 名無しさん@涙目です 2018/07/01(日) 10:18:14.70 ID:uF1fSke60
当時はなんだかんだで権威がものを言う時代
実権は無くとも、日本は足利の天下だというのが当たり前の認識
信長以外が考えていた天下取りとは
足利に如何に近づき、如何に実権を得るかという事に尽きた
つまり細川、三好に取って変わる事こそ天下取りだった時代
スタート時点で近畿外の田舎侍のボスである織田家がそこに割り込む余地はほとんど無かった

そこで当時堕ちるに堕ちていた「天皇」に目を付けた
当時の天皇には全く金が無く、即位式も行えない程困窮しており
金を貸す勢力もほとんど居なかった
そこで織田家にチャンスが!
何と、前代未聞!追い詰められた天皇が官位を身分を問わず「売り出した」!!
正親町天皇の苦渋の聖断であったが、これにより戦国の権威図が大きく変わった
毛利や織田といった田舎侍が、幕府のお偉方と「同等」の官位を得る事ができ
朝廷お墨付きの官位を得る事で、保護を得たがる国人、寺社、商人が増えまくった

93: 名無しさん@涙目です 2018/07/01(日) 10:32:39.72 ID:OfGzFdqM0
>>91
大内義隆が献金すると散財と言われるのに
織田信秀が献金すると評価される不思議

94: 名無しさん@涙目です 2018/07/01(日) 10:49:37.92 ID:bWNIQ3EX0
>>91 
聖断ってことは天皇家にとってはとりあえずプラスに働いたの?

96: 名無しさん@涙目です 2018/07/01(日) 12:37:54.87 ID:2G0Z6GRd0
>>94
織田がお金出してくれたおかげで、数百年出来なかった生前の譲位(院になる)が可能になった、と感謝する書状が残ってるみたいよ

官位については、秀吉の時代も臣下の武家にバンバンあげてたんだけど、公家にあげる官位と分けてなかったので官位が不足、公家からクレームがついた
家康の時代からは武家の官位を公家と分けてもらったので、戦のない時代の恩賞として官位が機能するようになったそうな

105: 名無しさん@涙目です 2018/07/01(日) 13:30:01.31 ID:OfGzFdqM0
>>96
40万疋(4000貫)を出してその功績で三河守に叙任されている
(践祚式自体は後奈良天皇は大内、正親町天皇は毛利だけど)織田信秀の果たした功績は大きい

当時の後奈良天皇は気位が高く、高位の官位を金で買おうとする大内の猟官運動を苦々しく思っており
すでに従三位まで売り渡していた大内に大きな貸しを作って征夷大将軍相当の正三位に叙任させられるのを嫌がっていたという

記録の有る献金
1 織田信秀 四十万疋 天文十二年(1543) 内裏修理
2 大内義隆 二十一.四万疋 天文四年(1535) 即位費
3 大内義隆 十万疋 天文六年(1537) 不明
4 三好長慶 六万疋 弘治三年(1557) 大葬費
5 今川義元 五万疋 天文十二年(1543) 内裏修理

110: 名無しさん@涙目です 2018/07/02(月) 08:19:12.72 ID:LTpkbV1k0
>>96
なるほど、戦国時代ってのはそういう見方もあるんだな。
ゲームでも最近は朝廷工作は結構大事だったりするけど、実際思ったより双方切実で元手は要るものの現実的な投資だったというわけか。

98: 名無しさん@涙目です 2018/07/01(日) 12:54:13.83 ID:OkjVBokA0
海に面してる所は豊かで金あるよね
武田とか山の中の人達は金が無い分外に侵攻しないと潤わないし

101: 名無しさん@涙目です 2018/07/01(日) 12:57:27.00 ID:yEhKh3tG0
武田も織田氏と対決する頃には港と水軍を持ってたけどな

102: 名無しさん@涙目です 2018/07/01(日) 13:04:23.84 ID:yEhKh3tG0
武田も遠江侵攻では海上輸送を兵站で使ってたんだぜ
高天神城も今では内陸の山城みたく思われてるけど当時は城の麓まで入江が来ていて遠州灘の海上交通の要所だった
家康はそれに対抗して同じく海上輸送の要として見附と馬伏塚城と横須賀城作って対抗した
現代の地図だとどれも内陸に見えるけど

87: 名無しさん@涙目です 2018/07/01(日) 01:46:03.78 ID:NfYHq4CT0
尾張は他国に比べて面積自体は小さいが、濃尾平野の広がる農業に適した土地だし、伊勢湾や三河湾に挟まれた水運にも恵まれ、交易の要所でもあったから地政学的に税収面でも優れた国だったからね。

ただ信秀では織田家は後世ここまで語り継がれるくらいの大名にはなってないのは間違いない。様々な経済基盤を活かし切ってあわや天下統一までいったのは信長の手腕無しではありえないからな。

89: 名無しさん@涙目です 2018/07/01(日) 09:05:09.49 ID:GGaM/mDJ0
なんつーか柔軟だよな、やることが

1111: 
過ぎたるは及ばざるが如し1600/10/21(水) 00:00:00.00 ID:rekichiho