Sasa_Rindō_inverted


1: 人間七七四年 2006/12/22(金) 00:48:07 ID:iRcYGxpm
南朝の名門!!

3: 人間七七四年 2006/12/22(金) 00:50:04 ID:P+aFwbp3
北畠って、「伊勢の名門」より、「南朝の忠臣」の方が
しっくり来るし、華があると思うけど、戦国じゃないから仕方ないか。

でも、北畠具教って、公家なのに大名で、しかも剣豪とは、
とても興味深い人物だと思う。

8: 人間七七四年 2006/12/22(金) 14:48:04 ID:m10Cbalw
>>3
同門がことごとく非業の死を遂げている件

9: 人間七七四年 2006/12/23(土) 15:30:59 ID:by/oQe6J
>>8
将軍様と国司様ぐらいだろ
むしろ幽斎とか氏真みたいに天寿をまっとうしてるイメージ

10: 人間七七四年 2006/12/23(土) 21:49:00 ID:L5up/JlW
正三位権中納言

11: 人間七七四年 2006/12/27(水) 15:26:38 ID:cH0e1f4Y
北畠政郷と北畠晴具はなかなかしたたかだったらしいね

12: 人間七七四年 2007/01/01(月) 15:22:51 ID:oqEXeCu+
幕府に忠実に従うようになったきっかけは何だろう?

14: 人間七七四年 2007/01/02(火) 07:35:01 ID:YkRUf3Dp
>>12
後南朝の滅亡じゃね?
あれで、幕府に反抗する理由が消滅した。
それに北畠は国司として統治していただけで、守護にはなっていないから
盟友に近い関係だったと言えるかもしれない。

15: 人間七七四年 2007/01/02(火) 08:49:50 ID:9IVR8y2Q
ゲームでも晴具は凡将扱いだったのが最近は有能な評価になってきたな。

21: 人間七七四年 2007/02/06(火) 19:09:50 ID:cjpK3C3s
しかしあっけなく、織田家に乗っ取られたね。

22: 人間七七四年 2007/02/07(水) 22:24:18 ID:IQSwGMMw
57万石の領土を持ち(伊勢一国)、鎌倉からの歴史を持ち(正三位)、武勇に優れた盟主を持ち、 日本中から人の集まる伊勢神宮と町・港を領内に持ち、あっさりと家を明け渡すいさぎよさを持ち。

24: 人間七七四年 2007/02/17(土) 19:26:48 ID:apm1EAbd
伸びないな。伊勢方面の人で、思い入れがある人はいないのか?

25: 人間七七四年 2007/02/17(土) 21:56:47 ID:tz9k1+kv
具教は剣術を好み、修行の旅をする剣客を保護、援助していた。自身も塚原卜伝に剣を学んだ剣豪である。奥義である一の太刀を伝授されたと言われる。
また、諸国修行の旅で具教の元を訪れた上泉信綱からも剣を学んだ。
具教は、領土が隣接する柳生宗厳とは剣を通じても親交があり、信綱に彼や宝蔵院胤栄を紹介するなど、剣豪たちの交流に一役買っていたと言われる。

具教は、塚原卜伝の新当流に、上泉信綱の新陰流の長所を取り入れた「伊勢新刀流」と言う流派を創始したとされる。
この流派は北畠家の子孫である有馬家に伝わっていたが、現存していない。

織田氏の刺客に襲撃された際も、太刀を手に19人の敵兵を斬り殺すという凄腕を見せている

26: 人間七七四年 2007/02/17(土) 22:00:28 ID:rWNpe7d7
長野氏とか藤野氏、関氏らが元気すぎて伊勢一国治めてる印象がないんだよな。

27: 人間七七四年 2007/02/17(土) 23:24:02 ID:OT1gwRse
57万石も実際に領土無かっただろ>伊勢北畠氏
「獅子身中の虫」というか権勢の有った同族に悩まされ、国内では一向宗が勢力を伸張、
守護大名から戦国大名になろうとしてなりきれなかった印象

28: 人間七七四年 2007/02/18(日) 00:14:03 ID:IApDIzVW
守護じゃねえ

29: 人間七七四年 2007/02/18(日) 00:16:05 ID:L7w+D6iy
国司だね。

33: 人間七七四年 2007/03/03(土) 22:46:24 ID:EEWKnG0t
伊勢神宮との関係は微妙だった。宇治と山田の間の紛争に介入したりして。
あまり触れられたくない歴史なのかも。

35: 人間七七四年 2007/03/05(月) 21:19:11 ID:e3QPVuI9
政争に敗れた奴をかくまったりしたはずだか、誰なんだか、何時なんだか。
横山高治氏の本に詳しいと思ったが。(忘れちまったってわけさ)

36: 人間七七四年 2007/03/05(月) 22:03:29 ID:d346ik07
>>35
嘉吉の変の後、赤松満祐の子教康が北畠を頼ってきたというやつ?
北畠は受け入れ拒否したらしいが。

39: 人間七七四年 2007/03/06(火) 02:22:02 ID:YAMQeF6U
北畠って苗字は今でもあるの?
地元(伊勢方面)に1軒あったような気がした

40: 人間七七四年 2007/03/06(火) 10:15:28 ID:1G61RGOk
青森と大阪に北畠姓が多いみたいですね。
全国では約1000世帯くらいあるはず。
世帯ですから、個人になると×3か、4くらいは居るんじゃないですか?

41: 人間七七四年 2007/03/06(火) 12:11:11 ID:m6yffJ2y
北畠さん1クラス46人の中に一人はいたよ@大阪市内

43: 人間七七四年 2007/03/06(火) 20:54:35 ID:C1tWNa2g
水戸藩に伊勢北畠系の家臣が召し抱えられたから
茨城にも多いんじゃないかな

44: 人間七七四年 2007/03/06(火) 23:06:42 ID:UkU9B8lH
河内の方に北畠って地名あるよね。銀行強盗事件が昔あったとこ。

138: 人間七七四年 2008/06/08(日) 02:43:43 ID:3qv1cdku
>>44
河内じゃなくって、阿倍野区の北畠は大阪随一の高級住宅街だ
そのお高く留まったお屋敷街であの銀行立てこもりをあえて起こしたことに
犯人、梅川昭美の社会への怨恨感情としては意味があるのだろう

南北朝時代の阿倍野の戦いの舞台であり、北畠顕家の墓とかあるとこの近くだね
近くの阿倍野神社も北畠顕家を祭る神社で、ゆかりのある地なのです。
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage425.htm
http://www.city.osaka.jp/abeno/variety/spot.html

若くして死んだ非業の忠臣として人気があったのだろう

45: 人間七七四年 2007/03/07(水) 00:41:38 ID:fonrx9t6
北畠顕家親子をお祀りしてる神社と公園もあるよ
地名はそこから来てると思う
銀行は厳密には北畠にはないんだよね。区も違うし

47: 人間七七四年 2007/03/07(水) 01:03:48 ID:UkowXbjM
伊賀との関係は良好だったんだろうか?
北畠氏は南伊勢が本拠地で北部や中部はどうだったんだろ

53: 人間七七四年 2007/03/10(土) 19:34:44 ID:0vk+zOCM
>>47
甲賀の棟梁山中家とは縁続きで関係は終始良好だったよ。
合戦ではいつも戦忍びを派遣してくれてた。

48: 人間七七四年 2007/03/07(水) 03:20:30 ID:g/eO3kXA
俺は鳥屋尾石見の子孫だお(´・ω・`)

52: 人間七七四年 2007/03/10(土) 00:15:50 ID:awdE4N7g
北畠氏については神皇正統記ほか、伊勢神宮外宮神宮との協調による著作も数々あり、武家としての実績以上に日本史に影響を
残しているとのことですね。

54: 人間七七四年 2007/03/11(日) 11:44:46 ID:p1QLnYeT
南大和、熊野、新宮、十津川流域まで支配してたのか。
紀伊半島の東半分を押さえてた事になるな。

55: 人間七七四年 2007/03/11(日) 18:11:52 ID:MTXp1ibD
>>54
それはいつの時代のことですか?

56: 人間七七四年 2007/03/11(日) 23:18:09 ID:p1QLnYeT
>>55
晴具。
wikiだからあまり当てにならないか。

58: 人間七七四年 2007/03/15(木) 03:06:40 ID:TFBTLoC+
南朝亡き後も、ずっと続いていたという事実がすごい。
後に南伊勢を引き継いだ蒲生氏郷が早々と転封になったのも、
秀吉が地勢的なアドバンテージに気付いたからでは。

60: 人間七七四年 2007/04/26(木) 15:04:45 ID:BtzlF0qJ
>>58
>南朝亡き後も、ずっと続いていたという事実がすごい
教具が傑物なんだと思う
義教に献上品贈ったり、満祐の子教康を自害させて首を幕府に送ったり、
常に親幕府で北畠を盛り立てた

59: 人間七七四年 2007/04/04(水) 10:20:55 ID:cbg5soKx
北畠が滅ぼされなかったのは、京からの距離がそこそこ離れていたからかな
それとも顕泰の政治力?南北朝合体を平和裏に行うための条件?

61: 人間七七四年 2007/05/16(水) 13:39:22 ID:/Won5qyq
応永の乱で活躍してるし、顕泰

64: 人間七七四年 2007/05/27(日) 02:16:07 ID:0NL/1emW
まあ、がっこの日本史で習うのは神皇正統紀の北畠親房ぐらいだしな
織田信雄がでてくりゃよく知ってるほう
東北政権とか後南朝とかになるとヲタ知識だ

69: 人間七七四年 2007/06/22(金) 21:48:19 ID:zVufaajG
織田信雄が北畠家の末代って認識でおk?

70: 人間七七四年 2007/06/23(土) 11:12:07 ID:7F5EYwYK
一応、信雄の息子の秀雄、高雄は雪姫の血を引いているが

101: 人間七七四年 2007/10/03(水) 14:21:10 ID:o9wzxFyu
北畠で足利将軍の偏諱をもらったのは
満雅 教具 材親 晴具かな。

102: 人間七七四年 2007/10/10(水) 00:35:41 ID:5/ydBLNL
>>101
南北朝の因縁があるから将軍家とはアレかと思ったが、
結構偏諱してもらってるのが多いな。

108: 人間七七四年 2007/11/15(木) 22:57:14 ID:KZyATGat
北畠は名門だ ○○御所と呼ばれるのは足利氏か
足利一族でも吉良氏くらいしか呼ばれておらず、
北畠一族は支族でさえ伊勢の地元民から○○御所と呼ばれていた
たとえば田丸御所とか笠木御所など多数見られる

120: 人間七七四年 2008/01/19(土) 21:58:50 ID:G2tEf3AJ
北畠親房って源氏長者になったくらいだから
北畠って名門だよなぁ

121: 人間七七四年 2008/02/04(月) 14:30:31 ID:PXC5HJwa
代々正二位・権大納言だね、親房以前の北畠
名門といえば名門だが、太政大臣もいる久我からみるとちと落ちる

122: 人間七七四年 2008/02/08(金) 20:44:23 ID:UAgdpqkX
俺は兵法の達人、不智斎具教が好きだな

123: 人間七七四年 2008/02/22(金) 15:13:08 ID:rhltEv02
具教の正親町帝即位時献金は二十貫。
毛利元就二千貫 三好長慶百貫 朝倉義景百貫に比べるとだいぶ少ない。
でも官位はその前年に正三位 権中納言。

127: 人間七七四年 2008/02/29(金) 22:34:48 ID:UFNJhRa9
>>123
金で官位を買うは田舎侍の所業よw。

124: 人間七七四年 2008/02/25(月) 23:18:34 ID:VSSOK8iR
晴具の頃は紀伊新宮あたりまで進出してたのに、信長の進行にはあっさりやられ過ぎだよなあ。

125: 人間七七四年 2008/02/25(月) 23:32:48 ID:+bptbaCc
戦自体は織田軍を跳ね返しているんだからあっさりじゃ無いだろ。
信長お得意の「講和と称して自分の息子と家臣団を送っておいて、騙まし討ちで暗殺」に
引っかかっただけで。

126: 人間七七四年 2008/02/29(金) 20:02:35 ID:ElLbB6zz
大河内城で信長に講和入れられるまで耐えたもんなぁ‥…。
織田が攻め落とせ無かった大河内城マムシ谷、今も時々銃弾が見つかるらしい。急峻な崖は今も健在!
一度見に行かれては?

137: 人間七七四年 2008/05/26(月) 08:40:14 ID:w9ga6aHd
本能寺直後に、一族の残党が伊勢で蜂起してるんだね。

140: 人間七七四年 2008/07/08(火) 14:58:52 ID:272tmznN
幕府寄りというと何か北畠っぽくない。

141: 人間七七四年 2008/07/13(日) 19:45:35 ID:gLivFDxR
晴具、具教なんか完全に幕臣で、時の将軍を助けて細川・三好と戦ってるじゃん

151: 人間七七四年 2008/07/26(土) 01:02:02 ID:0JUCs59C
北畠が,喜連川や岩松みたいになれなかったのは,関東にいなかったからかな?
それとも,江戸期が来る前に実質消滅してたからかな?

北畠は,交代寄合になれる程度の貴種性はあったと思うし,南北朝以降にはもう,征夷大将軍の権威に対抗する存在ではなかったし。


153: 人間七七四年 2008/07/26(土) 07:12:37 ID:/hhUj/ad
>>151
信雄のせいだろ

152: 人間七七四年 2008/07/26(土) 01:45:04 ID:4ZRmVuGL
別に京に行けば他の村上源氏がごろごろいるからな。
本家である久我家も残ってるし。

162: 人間七七四年 2008/09/27(土) 03:52:34 ID:D68452Mw
結局、江戸時代まで家名を残せなかったのか。
血脈が残ってれば、旗本程度にはなれただろうに。

172: 人間七七四年 2009/01/26(月) 15:58:07 ID:CnouMToV
具教の男系子孫っていないのかな?
あと織田家に遣えた事もあるっていう、江戸時代も武家として存続した庶流ってどこのことでしょうか?

173: 人間七七四年 2009/01/27(火) 02:33:33 ID:ih0lk0QJ
>>172
武田並みの根絶やし政策くらってたような
落し胤とかも聞かないし

174: 人間七七四年 2009/01/27(火) 02:34:15 ID:ih0lk0QJ
あ、木造氏系統は残ったんじゃないかな

175: 人間七七四年 2009/01/28(水) 01:39:56 ID:7pEEa5n5
田丸氏とかもじゃね?

205: 人間七七四年 2009/05/06(水) 15:16:00 ID:HDm3hEZr
伊勢の北畠氏は、国司から戦国大名になったといいます。
守護から戦国大名になったとは、よく聞きます。例えば甲斐の武田氏、駿河の今川氏など。

北畠氏は、伊勢の国司でもあり、南伊勢半国守護だったとも聞きます。
国司から戦国大名とは珍しいです!
 
そこで素朴な疑問ですが、朝廷の律令制度の国司は南北朝期には、
幕府の任命した守護にその地位を奪われ形骸化したといわれています。
北畠氏の国司は、実権を伴った地位だったのでしょうか?

206: 人間七七四年 2009/05/06(水) 21:49:38 ID:fs2/7v1I
そもそも後醍醐天皇の建武の新政において公家と武家をまず平等に扱おうという所から
天皇が打ち出した方針が国司・守護を並列させて任命するという方針だ

もちろん官位上では国司が守護を包括するけど、それぞれ独立し、各地に配置した
当然、その後の南北朝の混乱では国司側が南朝に、守護側が幕府にスライドした
北畠氏は南朝の大身であり、北朝に降伏した後もその位置を保った存在だからな

208: 人間七七四年 2009/05/25(月) 14:50:14 ID:6RAsVGil
幕府に従ったからね。

344: 人間七七四年 2017/07/31(月) 23:32:42.92 ID:ojpJAEYu
大河内城という壮大な山城を持ってたのに
信長には歯が立たなかったか

345: 人間七七四年 2017/08/03(木) 23:02:49.16 ID:1sWTO4BY
>>344
国力、兵力差から歯が立つはずもない。
よく抵抗したと思うけど。

134: 人間七七四年2008/05/01(木) 15:51:12 ID:6fk1FnDr
北畠の歴代が 
満雅ー教具ー政郷ー材親ー晴具だもんな 
親房や顕家はどう思うんだろう

103: 人間七七四年2007/10/11(木) 01:21:55 ID:HzmBeWdw
名門の割りにあっさり消えてった印象あるな。六角みたいに。