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1: 人間七七四年 2010/11/28(日) 17:25:49 ID:S2RJORuv
1541年6月14日、信虎は事前に晴信の不穏を察知し、謀反を見破る!
信玄は処罰され世継は信繁、家督は信虎のまま時代は続いていったら…?なスレッドです。
なお信玄の遺児は信繁の嘆願により助命されたものとして話は進めてゆきます。
(武田義信、海野信親まで生まれている、勝頼や盛信は当然生まれてない。)

もしこのような状況下に陥ったならば、甲斐武田家は戦国時代をどう生き抜いたのであろうか?

186: 人間七七四年 2016/01/19(火) 16:18:47.15 ID:JDERmSME
>>1
その場合にはっきりしているのは、諏訪家が滅亡しないということだな

3: 人間七七四年 2010/11/28(日) 18:42:12 ID:fSVxtwAv
信玄の跡を勝頼が継いだのが不評だったんだから、信虎の跡を信繁が継いだところで早く武田家中が分裂して、村上義清辺りに滅ぼされた可能性が高いんじゃないかな?とマジレス。
真田幸隆は信虎から逃げるように確か上野国に居たはずだから、真田の居ない武田勢力という図式にも繋がる。

2: 人間七七四年 2010/11/28(日) 18:00:25 ID:9gzMzDLw
謙信vs三国同盟の全面戦争ですね

4: 人間七七四年 2010/11/28(日) 18:53:18 ID:eksH5Rxh
真理姫も生まれていないので木曾氏も武田家と敵対

6: 人間七七四年 2010/11/29(月) 01:27:08 ID:n3xNu4HG
信玄は甲斐国人衆に担がれただけだから、どっちみち甲斐は終わったろうな。

7: 人間七七四年 2010/11/29(月) 01:44:14 ID:mgfU1jxt
でも諏訪頼重とか高遠頼継とかとは対立せず普通に弱小大名として生き残りそうだけど。

11: 人間七七四年 2010/11/29(月) 23:41:04 ID:hXcipGUI
>>7
そもそも諏訪とは同盟結んでるでしょ
信玄の妹が頼重の嫁じゃなかった?
高遠も諏訪と同族だし、敵対するようなことはなかったと思う

当分は今川、北条と争うことになるかな

12: 人間七七四年 2010/11/29(月) 23:52:07 ID:SfUWR0mE
>>11
同盟を結んでいる今川と何故争わないといけないの?

13: 人間七七四年 2010/11/29(月) 23:55:05 ID:hXcipGUI
>>12
あぁそうか、今川義元の支援したんだったか
何十年か前には今川氏親と争ってたみたいだし
時系列が混乱してたわ、すまん

10: 人間七七四年 2010/11/29(月) 13:50:19 ID:u7qPLjrz
信玄居なかったら川中島起きなかったんじゃね?

15: 人間七七四年 2010/11/30(火) 14:22:44 ID:Mrbh0vpl
って事は信虎にとっての当面の敵国ってどこにになるの?
むしろ信虎って北条には攻め込まないような方針じゃなかったっけ?
詳しくは知らないけど、戦国いい話スレでそんな感じの話聞いたけど。

16: 人間七七四年 2010/11/30(火) 14:32:49 ID:j3DrnFSQ
>>15
信濃遠征はよくやってたっぽい
佐久郡の大井貞隆と戦って、平賀源心も討ち取ってるらしい(甲陽軍艦)

17: 人間七七四年 2010/11/30(火) 15:17:15 ID:Mrbh0vpl
>>16
情報ありがとう!
って事は結局は信濃の統一を目指す過程で村上と小笠原と対立して、
勝利した場合は結局は謙信が現れて川中島に発展するって可能性あるのか。

18: 人間七七四年 2010/11/30(火) 16:35:51 ID:j3DrnFSQ
北条については、上杉に抑えてもらおうと考えてたみたい
憲房の側室の娘を、側室として貰って
朝興の娘を信玄の正室として迎えてる(この正室は難産で死亡

信玄の元服する前の年には今川氏輝との同盟が滅びて
その軍勢が攻め込んでくるも、これを撃退(万沢口の戦い

そのすぐ後に北条が攻め込んできて、これに苦戦
ここで上杉が小田原に侵攻して、慌てて北条は撤退
同盟はかなり活用されてたね

信濃制圧後は当然、日本海に進出したがって
長尾為景との戦いについては、避けられないと考えてた…らしい

20: 人間七七四年 2010/12/01(水) 03:17:53 ID:UiLz+4az
この場合、義信の扱いが気になるな。対豪族用の養子弾なのか否か。そして、養子ならどこに出すのかも。

21: 人間七七四年 2010/12/01(水) 03:28:46 ID:K8ONbbdE
武田・今川と両上杉で北条領の分割に揉めそうだ
氏康は先代の親交を頼りに越後に亡命・・・しても謙信を動かす大儀名分が無いか

22: 人間七七四年 2010/12/01(水) 16:56:37 ID:0W+pL9BU
上杉憲政に関しては大義名分で関東侵攻してたと思うけど、
小笠原と村上に関しては旧領回復が大儀名分じゃなかったの?

あと穴山さんの嫁はどこから貰うのか少し気になる。
信繁の娘かな?

23: 人間七七四年 2010/12/02(木) 13:57:50 ID:4wo7clHy
桶狭間が発生してからが甲斐武田の分かれ道

24: 人間七七四年 2010/12/02(木) 17:54:19 ID:2iBYM74V
武田信虎が当主の時点で、今川家の戦略方針も変わってると思う。
太原さんが存命のうちに尾張侵攻終わらせたりして桶狭間発生しないとか。

57: 人間七七四年 2010/12/12(日) 00:11:46 ID:h5GbpcB7
そうとは限らないんじゃね?
武田滅亡の重要なファクターである織田が>>24みたいなってれば滅亡せずに信豊以降も続く可能性はある

26: 人間七七四年 2010/12/07(火) 11:18:06 ID:auFCMUYs
武田は結局晴信の時代において中央集権化を進めていくんだがな
なんかこう、年がら年中家臣と喧嘩してた信虎にはろくな業績ないのにもかかわらず
信虎だったら中央集権化が進んだって事にしたがるのは
一体何が根拠なんだ?

いっとくが信虎の作り上げた政治体制は晴信にほぼそのまま継承され、
それは晴信時代を通して集権的・近代的体制に変革されていき
晴信晩年には晴信初期とはまるで別物になるくらいに改造されたんだが
晴信晩年にはその威令は領国全てに細かくいきわたるようになり、
名実ともに武田の集権化は成功してる

なんだって信虎がいたら集権的で晴信が集権的じゃない、って事を主張するのが多いのか
謎すぎだわ

27: 人間七七四年 2010/12/07(火) 13:20:23 ID:wXWtkCG+
信虎の政治体制は信虎が家臣たちの信玄を担いだクーデターにより瓦解した。
信玄は信虎よりもずっと後退した権力基盤から自らの体制を作り上げた。

33: 人間七七四年 2010/12/08(水) 07:14:06 ID:vucmhIDw
信虎は家臣団の集住を成し遂げたけど
その程度では集権化を進めたとは言えないということでいいですね

35: 人間七七四年 2010/12/08(水) 14:56:56 ID:Nwu+l0vh
信虎をバカにしすぎ。
晴信を特別視しすぎ。

戦国大名なら皆同じようなことやってる。

36: 人間七七四年 2010/12/08(水) 15:01:28 ID:eLe/S2pD
晴信に出来て信虎に出来ないって理屈はないな

39: 人間七七四年 2010/12/08(水) 21:24:44 ID:/qZXnRY/
>>36
あるだろ
そもそも家臣に推戴されて国主になった晴信と同じことが
家臣一同に見限られて追放された信虎にできるわけがない

51: 人間七七四年 2010/12/10(金) 16:51:53 ID:h6bTepti
勝頼or勝頼に類似した誰かが産まれるのは確実か?
それでも跡は継げないからやはり諏訪への養子になるか。

53: 人間七七四年 2010/12/10(金) 20:44:30 ID:RxHL2ckq
>>51
諏訪頼重の下に禰々が居て、その嫡男の寅王丸が諏訪を継ぐとは思うから、勝頼と同じ道には歩まないとは思う。
とは言っても仁科みたいな感じの養子には行くやもしれんが…

54: 人間七七四年 2010/12/11(土) 03:15:36 ID:HNShspbf
禰津御寮人も信玄には嫁がず小笠原に嫁いだり歴史が狂いそう!と思ったがそもそも子供居たっけ?

56: 人間七七四年 2010/12/11(土) 22:06:10 ID:KHHzGiCP
こんなスレあったとはw
信繁が跡を継ぐって事は嫡男の武田信豊が跡を継ぐわけか。
なんら史実と変わらず滅亡√になりそうだ。

58: 人間七七四年 2010/12/12(日) 00:12:50 ID:TaS8c8f2
そこはどれだけ信豊が御親類衆と関係上手くいけるかがポイントだと思う。
信繁は戦死したから寿命は解らないけど、信玄没した1573年よりは長生きすると思うから、
仮に長篠のような合戦が発生したとしても、信繁が存命なら負けないとは思う、信虎すら存命だし。

59: 人間七七四年 2010/12/12(日) 01:50:41 ID:oqQqk+j+
スレ違いかも知れんが、勝頼が1574年に信虎の帰還を受け入れていたら何か変化はあったかな?
その後すぐ死んじゃうけど…>信虎
信虎を嫌っていた当時の重臣たちもほぼいなくなってるし、
先々代である信虎の威光で勝頼を中心に結束するきっかけにはなったかもしれない、
なんて思っちゃったり。

まあ追放時の言い訳(信虎暴君説、狂気説など)がまことしやかに浸透してたら
威光も糞もないんだろうけど。

60: 人間七七四年 2010/12/12(日) 04:43:49 ID:F/SsHrEG
武田信虎で有名な合戦はやっぱ『福島乱入事件』だと思う。
受け入れた事による結果は、合戦の勝率くらいは上がりそう。
でも御親類衆をまとめるのは難しいと思う。

61: 人間七七四年 2010/12/12(日) 04:47:54 ID:Y8WenvvJ
信虎が武田信恵を討ち取った戦いって、どういう名称?

62: 人間七七四年 2010/12/12(日) 13:55:11 ID:TaS8c8f2
第二次油川氏の乱とかそんな名前だったと思う。

64: 人間七七四年 2010/12/18(土) 22:02:13 ID:07d6zKK9
一応「勝山の戦い」になるんじゃなかったっけ。その後出張ってきた
小山田弥太郎を昼の戦いで敗れた直後に夜襲で屠ったのは分からないけど。

甲府を作ったのも、名僧学者を甲斐に集めてきたのも、一国を統一して
中央集権化、国人の家臣化を進めたのもみんな信虎の時代だもんなあ。

65: 人間七七四年 2010/12/19(日) 12:07:35 ID:KB5Zj8yj
信虎は名将だったと思うよ冗談抜きで。
負けた戦いあったか?ってくらい強いし。

66: 人間七七四年 2010/12/19(日) 22:01:16 ID:lVqIIakh
戦術的な負けはけっこうあったと思うけど(笑)

けど「もうかなりヤバい」ってところに追い込まれると神がかり的な
逆襲に成功する。今年のロッテみたいだ。

67: 人間七七四年 2010/12/19(日) 22:05:14 ID:lVqIIakh
むかし「歴史が違う方向に行ってた場合の人物略歴スレ」に書いたもののコピペ

■武田信虎(1494-1574)

甲斐武田第17代当主。武田信縄の嫡男。父の死後、楠浦昌勝
(荻原と表記するもの有り)らと共に叔父の信恵を倒して家督を
継ぎ、川田夫人との間に生まれた嫡男・虎縄(とらつな)と共に
国内の統一を進める。天文10年(1541年)、国内外での専横を
許されず不満を持っていた板垣氏・甘利氏ら国人衆が、次男の
大井晴信・三男油川信繁を立てて叛旗を翻すが、原虎胤・小幡
虎盛・山本勘助ら国外から帰服した家臣の力もあってこれを制圧、
娘婿の今川義元と共に北と南から国土を広げ、永禄4年(1561年)
直江津の戦いで長尾景虎を倒すと*1、国主の座を武田輝虎と改名した
嫡男に譲った。隠居後も戦いの前線に立ち、永禄9年(1566年)に
畠山義続を倒し*2、11年(1569年)には今川義元、九鬼嘉隆らと共に
六角・三好・織田らを撃破して入京する。今川氏輝が「二条の変」で
十八人斬りの伝説を残しながら殺害された後も、巧みな外交術で
輝虎らの勢力拡大を助けていたが、天正2年(1574年)、小早川
隆景邸での歌会に参加していた際に、武田信隆・熊谷元実らが
これを襲った「大寧寺の変」に巻き込まれて死亡した。

*1 なお、この時の長尾景虎は上杉家の家督を受けて「政虎」と
   改名していたが、あまりに短い期間なので認知している者は少ない。

*2 信虎は畠山義続の肖像を見て「見るからにおぞましい
   面つきだ」と嫌悪し、討伐の思いを固めたといわれている。

69: 人間七七四年 2010/12/20(月) 02:18:33 ID:nVhV6Hrs
今川氏輝が酷く長生きな辺りかなりのifだなぁ。
ところで>>67での信玄は??

70: 人間七七四年 2010/12/20(月) 02:20:03 ID:iqYK7q0Q
>>69
>大井晴信・三男油川信繁を立てて叛旗を翻すが、原虎胤・小幡
>虎盛・山本勘助ら国外から帰服した家臣の力もあってこれを制圧

粛清されたんじゃない?

68: 人間七七四年 2010/12/20(月) 01:12:00 ID:rmh19fvu
これは酷いオチw

72: 人間七七四年 2010/12/20(月) 07:22:00 ID:RBboo+6w
意外と調略であっさり倒せたりして。
それでなくとも内乱多いからな>越後

73: 人間七七四年 2010/12/20(月) 11:33:21 ID:LL4K1HcU
信玄に内通しようとした重臣もいたよね
北条高広だっけ

74: 人間七七四年 2010/12/20(月) 11:41:30 ID:qQheZ9ZF
北条高広の寝返りっぷりは異常。
長尾政景も上手く揺さぶれば内応こぎつけれるかもしれない。

75: 人間七七四年 2010/12/20(月) 14:12:50 ID:CB7TZHIL
信虎は調略上手?
後、越後方面に進むのなら村上の打倒は絶対条件だと思うけど……

76: 人間七七四年 2010/12/20(月) 15:24:18 ID:RBboo+6w
>>75
絶対ではない。
より厳しいが上野→越後ルートもあるでよ。

信虎が調略得意かどうかは知らんが、
政略は駆使してた(板垣等重臣の存在が大きいけど)みたいだし、
さらなる拡大を目指す上で調略を多用したとしても不思議じゃない。
ある程度大きくなった戦国大名なら普通にやってることだし。

村上を攻略するとしたらやはり最終的には調略なんだろうけど、
信玄における真田幸隆のように、北信濃の国人衆とつながりの
深い家臣がいた方が断然楽だろうね。

82: 人間七七四年2010/12/21(火) 20:21:57 ID:RFzYwc09
下手したら北条が潰れかねないからな 

武田は上杉今川と共に北条と戦うか関東からは一旦手を引いて信濃を攻めるか 
諏訪に関してはそのまま取り込めるかもしれないし 
1530年前後の時とは違って1540年前後には国力的には今川松平並に差が出てきてるし 
諏訪を取り込んで小笠原や木曽伊奈方面を攻める可能性も

77: 人間七七四年 2010/12/21(火) 04:51:39 ID:E3zS9V/B
信虎が頭首だと海野平合戦の影響で真田幸隆が武田家に来るか微妙だよね?
下手すると長野業正の家臣になって、どえらいことになるような気がするんだが。

79: 人間七七四年 2010/12/21(火) 14:25:15 ID:zPFFLD6g
どえらいことって?

80: 人間七七四年 2010/12/21(火) 16:56:00 ID:bI+FJWdV
唯でさえ、業正存命中には信玄も手が出なかったのに、それ+真田家されたらとてもじゃないが上野には侵攻出来ないって事だろ

81: 人間七七四年 2010/12/21(火) 19:24:51 ID:BgsMoTpi
>>80
代弁どうもありがとう。
あと川越夜戦なども発生しなくて、上杉憲政が史実より頑張る可能性も考えられる。
長尾景虎も関東管領になれずに関東方面の進出もしないなどのifも充分考えられる。

84: 人間七七四年 2010/12/21(火) 21:34:25 ID:BgsMoTpi
>>83
上田城に関しては真田幸隆の個人の力が強いと思う。
その気なれば真田の兵だけで何かやらかす恐れは充分見える。
長野業正も合戦自体は負けてて結果を出してるから、
その長野業正を負けないように補佐を真田幸隆がするなら充分変わりうると思う。

あと>>81の続きだが川越野戦がなければ、長野吉業が死亡しない事になり、>>83の言うような誤差の範囲は超えるとは思う。

85: 人間七七四年 2010/12/21(火) 21:57:00 ID:bI+FJWdV
追記だが、
信玄と同じように侵攻した場合、自力で戸石城を落とさなきゃならなくなる可能性もあるね。

87: 人間七七四年 2010/12/21(火) 23:03:48 ID:tPjhOqiT
うむ、上田城築城時には幸隆は亡くなってたしな

88: 人間七七四年 2010/12/22(水) 00:56:43 ID:gssWdV6Z
砥石城の調略は、幸隆に代わる人材(人脈を持つ人間)をあてられれば何とかなると思う。
「幸隆の調略で落とした」は、即ち「幸隆でなければ落とせなかった」ではないし。

89: 人間七七四年 2010/12/22(水) 01:40:25 ID:UmiZs8RO
真田幸隆に限らず真田一門全て武田に与さないから捻じ曲がるという考え方でいいんだと思う。

92: 人間七七四年 2010/12/23(木) 09:43:12 ID:YqSiISmP
穿った見方をすれば信虎がせっかく海野一族を追放して小県を直接支配できるようにしたのに 信玄が村上に対抗するために小県を真田一族に上げてしまい武田は間接支配に留まることになった
って見方も出来るな

まあそのおかげで武田滅亡時に真田はそれなりの勢力を持つことが出来て独立勢力となれたわけだが

96: 人間七七四年 2010/12/25(土) 12:34:11 ID:98ygQtoL
そもそも家臣団から総スカンくらった信虎にまともな外征などできるわけないべ
晴信処断の段階で内戦突入、それに勝利したとしても信虎の性格じゃ家臣団の大半は粛清
深刻な人材不足に陥って甲斐一国の運営さえ儘ならなくなるのがオチ

102: 人間七七四年 2010/12/25(土) 20:43:20 ID:xt4Z4Nnm
原か小幡が信虎追放に猛抗議したという話をどこかで読んだ。
抗議しただけでその後も信玄に仕えてるけど。
信虎が登用した足軽大将でさえその程度。人望の無さが伺われるね。

109: 人間七七四年 2010/12/25(土) 23:28:32 ID:l2Z4YZup
>>102
何の本か忘れたが、新参で能力を買われて仕えた武将達が、信虎追放に反対気味と書いてた。
譜代の家臣から見たら面白くないし、立場も命も危ういから追放し、信玄を立てた。
その本が何次資料か解らないけど、板垣信方と甘利虎泰と飯富虎昌を痛烈に批判してた事から昂揚軍艦みたいなもんだと思って読んでたが。

105: 人間七七四年 2010/12/25(土) 21:51:17 ID:Lw5h0rzy
まあ、信虎は長尾為景みたいに単なる戦争馬鹿と違って、内政でも治水工事等に努めてるからな。 人事面でも原虎胤や横田高松みたいな、才能があるなら甲斐国外の人間でも重用するなど積極さを見せた。

ただ、こういった分け隔て無い人材登用が、逆に板垣等の閉鎖性の強い国人衆の反発を招いて仇になった面があるのかも

106: 人間七七四年 2010/12/25(土) 22:13:05 ID:p3U65wPZ
猛抗議したと言われるのは原虎胤、
他に足軽大将の誰かは不明だが信虎のもとにいった者もいる。

>信虎甲斐追放を領民はおろか牛や馬までが喜んだとか言われているので
これは一次史料に値する勝山記の記録で牛馬は比喩表現にしても領民がその時点で喜んだのは恐らく事実
ただ代替わりしても災害が止むことは無かった為に信虎を追放したその年ですぐに悪いと書かれている

107: 人間七七四年 2010/12/25(土) 22:35:16 ID:K4eSMCbe
とゆーか守護の親子を旗頭にして国人が主導権争いがするのが甲斐の歴史だよ。

信昌派vs跡部派
 →守護代・跡部の専横に対して非主流派が信昌を担いでクーデターに成功
      
信縄派vs信昌派
 →跡部の孫として粛清しようとした信縄の一派が窮鼠猫を噛むクーデター

信虎派vs信恵派
 →信縄の息子信虎と信昌の息子信恵を立てての争いも、旗頭の信恵が殺され決着

晴信派vs信虎派
 →反信虎派が信虎の義理の息子・今川義元の力を借りて決着

信玄派vs義信派
 →非主流派が信玄の息子義信を立てた争いも、旗頭の義信が殺され決着

108: 人間七七四年 2010/12/25(土) 22:47:53 ID:p3U65wPZ
>信虎派vs信恵派
これも暗殺とまではいかないにしてもそれに近いような小兵力で屋敷を襲ってるからなー。

信虎の場合は兵を連れずに甲斐を離れたのが失敗か。

116: 人間七七四年 2010/12/26(日) 20:10:16 ID:hkgs5XPT
駒井高白斎日記で、実際は長男じゃない信玄の誕生をむやみに大げさに書いて
あったりと、信玄治世の時代になってから改竄もしくは校訂したことが割と
ハッキリしている部分が多いからね。

上にもあるように、晴信時代になってからも飢饉や出陣が多いので、期待された
晴信もけっきょくはボロクソ書かれたりしてる。
武田八州満の小説で、上田原合戦で大敗した晴信が謀反を起こされなかったのは
その年が大豊作で国人や庶人の不満が少なかったからだ、と語られていたのは
かなりの部分当たっているだろうw

118: 人間七七四年 2010/12/27(月) 00:44:01 ID:erW67LqK
>>116
それは凄く興味深い話だなあ。
もし上田原の時点で豊作じゃなかったら、信繁辺りが担がれて謀反なのかな?
それとも小山田家、飯富家、穴山家辺りが謀反を起こしてしまうかな?

117: 人間七七四年 2010/12/26(日) 23:42:56 ID:wJXmwsKH
駒井高白斎といえば出家したのが信虎追放直後ぐらいなんだっけ?
もしかすると信虎派だったけど突然の追放劇で自分まで攻撃対象になることを恐れ、
反信虎派に恭順の意を示すために出家したのかな?

119: 人間七七四年 2010/12/27(月) 01:22:02 ID:o5G7GGSg
上田原で板垣ら重臣が死んでようやく晴信直接の治世が始まった、
って説が正しいなら謀反は起きにくいかもね。
そして信虎追放~上田原までは武田家集権化にとって
ある種の停滞時期だった可能性もある。

123: 人間七七四年 2010/12/27(月) 22:06:52 ID:D1DwBSsn
上田原までは陶と大内義長みないな関係か

124: 人間七七四年 2010/12/27(月) 22:17:10 ID:erW67LqK
陶隆房は実力と大内家で残した結果でクーデターが成功したように思う。
板垣信方には何か偉大な結果は残されているのかな?

126: 人間七七四年 2010/12/28(火) 15:15:18 ID:a80tKBQg
小田氏治みたいに何回負けても領民、家臣に支持され続けた大名もいれば
武田みたいにちょっとした利害で
何回もクーデターが起きたりする大名もあるんだよなあ。
なにがちがうんだろうなあ。

127: 人間七七四年 2010/12/29(水) 15:19:06 ID:iG6HcE0S
>>126
甲斐の国は貧しくて米も全然取れなかった国だったから、
自分や家臣達の飯食わせてやるには、より強きに従うって感じじゃないかな?

やっぱ家臣に満足な俸禄も出せないと、その領主のが殺されちまうとも思うし。

128: 人間七七四年 2010/12/30(木) 01:23:50 ID:LeE0/SKQ
つうか小田さんとことは領国の規模が全然違うから、
寝返り頻発しても全然おかしくない。

支配域が大きくなればなるほど統治・統率が困難になるのは当たり前。

153: 人間七七四年 2011/09/23(金) 12:28:51.13 ID:Q/UdrcOB
信虎って実質凄い人だったの?
今川に預けられてたみたいだけど、何か武功でも上げれたの?

156: 人間七七四年 2011/10/05(水) 15:27:46.25 ID:osKk5MrE
>>153
寿命に関しては完全に信玄を上回っているかと。

157: 人間七七四年 2011/10/05(水) 17:24:51.34 ID:F9x+eOsJ
>>153
庶流になりかけた武田家を本流に戻した人
劣勢を押し返したりしてるから結構どころかかなりすごい

170: 人間七七四年 2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN ID:CvqsDp8i
>>157
室町体制では直接室町将軍に仕えた若狭・安芸武田氏が嫡流扱いで
鎌倉公方に仕えた甲斐武田氏自体が庶流の扱いだったはず

181: 人間七七四年 2014/05/28(水) 00:00:46.01 ID:Z3ppUBgK
>>153
息子の信玄以上に先進的、かつ革新的。

一族、家臣、国人を躑躅ヶ崎館周辺への移住を強制し、
同時に直属の傭兵集団を抱え、大名権力の強化を推進した。
これが大きな反発を呼び、駿河に追放された。
だから、息子の信玄の時代には大名権力と言う点では、
やや後退している。

160: 人間七七四年 2012/03/20(火) 06:00:44.46 ID:pmg1UMMQ
なんかやたら長生きだよなあ…

息子ら差し置いてずっと一線にいられたらどうなったか

1111: 
過ぎたるは及ばざるが如し1600/10/21(水) 00:00:00.00 ID:rekichiho  





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