61898691


戦略は、一般的には特定の目的を達成するために、長期的視野と複合思考で力や資源を総合的に運用する技術科学である

https://ja.wikipedia.org/wiki/戦略

戦術(せんじゅつ、Tactics)は、作戦戦闘において任務達成のために部隊・物資を効果的に配置・移動して戦闘力を運用する術である

https://ja.wikipedia.org/wiki/戦術

1: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/04/08(日) 21:57:00 .net
戦略>戦術
だと思うが、逆をやってのけた偉人を晒してくれ。

190: 名無しさん@お腹いっぱい 2011/06/06(月) 18:08:00.72 .net
>>1
武田信玄の駿河侵攻

とうぜん甲相駿三国同盟崩壊

対抗で越相同盟成立

示威行動で小田原攻囲&三増峠の戦いで北条勢を粉砕

役に立たない越相同盟解消

駿河ゲット&甲相同盟締結


武力にモノをいわせてやりたい放題w
大義名分とか信義とかキニシナイ!カコイイ!!

5: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/04/11(水) 05:45:55 .net
普通なら物理的に無理な気がする。
交通違反で道路交通法を変えようとするようなもんだし。
しかし機甲部隊や戦闘機みたいな革新的な兵器がでてきた状況がそうなのかな。

9: 名無しさん@お腹いっぱい2007/04/14(土) 20:42:14 .net
普通に桶狭間

51: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/04/27(金) 23:10:30 .net
織田信長の桶狭間の合戦だな・・・

戦略的には完全に負け戦だったのに
局地戦で偶然完全勝利を達成してしまった

53: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/04/28(土) 01:09:54 .net
桶狭間は戦術で、今川の戦略くずしたかも

大将のクビとったら
情勢が変わったような話はあったような。

54: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/05/02(水) 02:22:06 .net
大阪冬の陣も
実戦争では豊臣が優勢だったが、
大砲を打ち続けた家康が勝った。
南無阿弥陀仏

戦術よりも戦略だな。やっぱり。


56: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/05/03(木) 00:43:50 .net
この議論は二つの難しさがある
(1)勝利をどの時点で決めるかが難しい。
 戦術で一時期勝手も、戦略的に衰退する例が多い。
  ハンニバル

(2)戦術と戦略の境目が難しい
 単純なのは数
  数で負けたが、イクサで買った例は枚挙にいとまがない。
 しかし、数が少なくても勝てるような技を考える戦略を組織的に考えていたら、これは戦略か?

59: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/05/03(木) 13:43:32 .net
「戦術的勝利は戦略的勝利に優先する」
とナポレオンがほざきながら、
命令を無視して撤退を拒否し勝利を続けて
英雄になりましたとさ

60: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/05/03(木) 21:04:36 .net
どんな戦争も戦略的要因があるから、
戦術で勝ったように見えても、
実は、こういう戦略があってね。
みたいな展開にならないとも限らない。

ナポレオンのアウステルリッツの戦いも、オーストリア・ロシア連合軍主力が兵力を結集しきる前に戦いを挑んだという、基本戦略がある。

大阪冬の陣の
真田幸村VS家康の戦いや、関が原の戦いは、
戦術の勝利よりも戦略の勝利が優先した典型かと思う。
こういうパターンは多い。

桶狭間は奇襲戦術で、今川の大軍をやぶったから、これは
戦略より戦術が優先したといえる。

あとは、日露戦争かなぁ。バルチック艦隊を破った日本海軍。
陸地でのねばり勝ち。
戦略的には日本軍が互角か、やや劣勢だったといえるかどうか。
ロシアに絶対に勝てると思った戦略があったかどうかは判定が難しい。

あと、赤壁の戦いは、どう分析する?

63: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/05/04(金) 00:15:19 .net
関ヶ原の戦いはどうだろう。

64: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/05/04(金) 08:52:55 .net
関ヶ原の戦いは
布陣は石田方の勝ち それまでの戦争では石田方が勝っていた。
 しかし、内通者つくったり、石田方の兵力を分散させた徳川の戦略勝ち。

71: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/05/06(日) 04:20:29 .net
難しいね。

例えば「厳島の戦い」の毛利なんかも考えてみたが、劣勢を跳ね返したからと言って、戦術>戦略ではないと思うしね。
この場合、やはり毛利が戦略的にも上回っていたと思える。

80: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/05/19(土) 15:44:24 .net
桶狭間では、義元の首級こそ挙げたものの、今川軍に巻き返されて信長軍は逃げ帰っている。
信長自身が討ち氏にする怖れも大きかった。
大将首を奪られたくらいでは怯まない、多弾頭化された今川家と所領に敵を引き込んだ織田家、 両家戦略は引き分け。わずかに信長の果断速攻が勝ち目を分けた。

長篠の合戦、三千丁の鉄砲の半分を武田支城の攻略に当てたため、馬柵前での武田軍壊滅ではなかった。 閑散とした戦場、当時の屏風画あり。支城陥落での戦意喪失。

上杉武田の諸衝突、戦国最大のヤラセとの説あり。謙信の一騎駆け、江戸時代に疑問の声上がる。

戦国英雄伝なるもの、後世サムライ政権と軍国主義の都合で、そーとー脚色されてるから
鵜呑みはキケン。

82: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/05/23(水) 05:10:44 .net
戦術と戦略の定義ってハッキリと別れているの?

84: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/05/23(水) 15:34:50 .net
>>82
分かれているかどうかは別にして
戦略は戦術よりも上位の概念である
とはいえるんじゃねーの。

まず、戦術決めてから戦略を考える
なんてことは無いわけだし。

85: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/05/23(水) 23:33:43 .net
戦略でまけてたけど、

戦術で逃げるぐらいはできるだろうな。

織田の朝倉攻略のとき、

朝倉・浅井が連合して襲い掛かってきた。
これは戦略の失敗。

でも、秀吉のがんばりもあり、撤退に成功したね。

86: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/05/25(金) 12:55:45 .net
戦術で戦略が負けたときは新しい戦略が生まれるときなんだろうな。

88: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/06/12(火) 22:39:37 .net
戦略>>戦術の分かりやすい例として、川中島合戦第4回な

戦術で勝った謙信が前半押してたが、結局敗走してしまい北信濃攻略という
信玄の戦略勝ちに終わる。



逆に、戦術>>>戦略の分かりやすい例として、三方ヶ原合戦な

信玄来襲の際、家康と挟み撃ちにしようと考えた信長であったが
結局信玄の巧みな戦術によって家康はコテンパンにされ、信玄戦略
は失敗に終わるww

92: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/07/20(金) 17:27:17 .net
まあどっちもだいじだよな

93: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/08/04(土) 19:09:52 .net
外出かな?上田籠城の真田幸村。
徳川家主導で関ヶ原に勝つつもりだった家康に、外様優位の領土配分を押し付けたね。

秀忠の四万が間に合わなかったため、豊臣家臣団に戦場を委ねるしかなかった。
福島加藤は断絶に追い込まれるものの、この戦略失敗は幕末まで後遺症となった。

94: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/08/04(土) 22:12:13 .net
それ昌幸

95: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/08/04(土) 22:20:56 .net
秀忠が遅れたのは雨で足止め食ったからという話もある

72: 名無しさん@お腹いっぱい2007/05/06(日) 11:05:22 .net
北条氏康の川越夜戦なんかは?

97: 名無しさん@お腹いっぱい 2007/08/07(火) 23:28:02 .net
川越野戦はむしろ戦略的事例だよな
「少数で大兵力を撃破する」という無理な戦術課題を達成しただけで。

基本は篭城の救出戦だもの。

99: 名無しさん@お腹いっぱい 2008/01/08(火) 22:01:10 .net
よーするに、小さな局地戦勝利で
戦略的不利を覆した人ってことかな?

101: 名無しさん@お腹いっぱい 2008/01/14(月) 18:59:10 .net
てか、戦術的に敗北したのに戦略的には勝利したって戦いを挙げた方が早いぜ。
近代以前ではこれはかなり珍しいよ。

川中島だって、武田方の戦略的勝利といわれるが、
土地は確保したけど幹部クラスがかなり戦死している。
当時の封建社会では、当主の死というのはその軍を著しく弱体化させる。
一方、幹部クラスの戦死が少なかった上杉は、元気に関東に出陣している。
果たしてこれを武田の戦略的勝利と呼べるかね。

局地戦ではところどころ負けたが最終的に勝ったとはまた違うからね。

103: 名無しさん@お腹いっぱい 2008/01/15(火) 04:43:23 .net
日本じゃ孫子の影響かなんか知らんけど、戦略>戦術という認識が多すぎ。

欧州じゃクラウゼビッツしかりで、戦術>戦略じゃね?
アレキサンダーとかカエサルとかハンニバルとかナポレオンとかフリードリヒ大王とか、
全部傑出した戦術家って感じじゃん。

121: 名無しさん@お腹いっぱい 2008/02/29(金) 12:44:50 .net
羽柴秀吉が、上杉謙信を恐れる信長を尻目に
北陸道を小当たりにして退きながら、
近江平野で決選を主張した慧眼は、すごいと思う。

卓抜した戦略眼。やはり謙信を「田舎武将」扱いする
秀吉の凄味が際立ちますが、さて、こんな秀吉を、謙信はいかに
戦術で突破していきますやら。
誰か考えてみてぇ。

122: 名無しさん@お腹いっぱい 2008/02/29(金) 17:48:26 .net
そんな話あったっけ? 

ってか謙信は相手に小当たりに退かれながら、ジリジリ攻めていくなんて戦術や
戦略は取らないんじゃね? 基本電撃戦から相手を自分の動きに合わさせる、
主導権を絶対に手放さないで機動打撃に持ち込むってパターンだから、
秀吉の偽退に引っ掛かってジリジリと釣り込まれて近江平野で包囲なんてされる
くらいの戦術眼だったら、信玄の包囲戦略・戦術に軽く撃破されてると思うよ。

秀吉の凄みは、外交と物量戦・城攻めじゃない?
小牧・長久手では内線作戦から家康に各個撃破されてたけど、謙信の軍隊は
機動性でも打撃力でも家康軍より数段上だと思うよ。


123: 名無しさん@お腹いっぱい 2008/02/29(金) 18:15:38 .net
戦術的な駆け引きは別として
織田領を蹂躙するなら近江は避けて通れないでしょ

124: 名無しさん@お腹いっぱい 2008/02/29(金) 18:46:07 .net
まともな野戦も無しに近江まで下がるなんて戦略は、織田軍のイメージ丸下がりで
上杉軍の勢いつけるだけじゃないかね。
国人離れに繋がるし、敵対勢力も勢いにのるだけな気がするが。

125: 名無しさん@お腹いっぱい 2008/03/04(火) 10:06:11 .net
だね。当時の封建社会で、首都近辺まで引き込んでの会戦なんて自殺行為。
そんなに押し込まれたら寝返り続出だよ。

実際、秀吉はそれやって信長からめっちゃ怒られたわけで。
縦深防御なんて高等戦略ができるようになるのは、
国家が一つにまとまった近代以降でしょう。

128: 名無しさん@お腹いっぱい 2008/03/05(水) 09:08:00 .net
秀吉としては長浜場を軸に謙信と一戦交えたかったんじゃね?
具体的な戦術よりもまず目立つことに大事を置いていた希ガス

175: 名無しさん@お腹いっぱい 2009/09/01(火) 07:55:08 .net
関ヶ原前哨戦の福島正則達。
濃尾方面は西軍の方が多かったのにもかかわらず、
伊勢で西軍が手間取っている間に反撃に出て、
岐阜城他数ヶ城を調略、強攻を交えて制圧し戦局を逆転した。

183: 名無しさん@お腹いっぱい 2011/01/18(火) 19:20:42 .net
一の谷も壇ノ浦も源氏の方が兵力が多い。
義経が寡兵で戦ったのは屋島だけだが、平氏側の
主力部隊は当時、源氏主力との戦闘に行っていて
留守部隊だけだった。
義経は戦略的に有利な戦いしかしていない。

184: 名無しさん@お腹いっぱい 2011/01/19(水) 02:21:04 .net
>>183
それがもう戦術レベルの話なんじゃない?
一の谷は守備に強いし京の情勢も伺いつつ攻め込める位置にある
その上瀬戸内を地盤に勢力を盛り返していたし、
事実兵力の上回る源氏方の攻撃に互角以上の防戦をした
そのまま長引けば源氏の方が撤退せざるを得なかったと思う
この状況を作り出すまでが平氏の「戦略」

ガラ空きの本陣に後ろからぶっこんだ義経の戦いは「戦術」レベルを出ない

189: 名無しさん@お腹いっぱい 2011/05/23(月) 20:25:43.10 .net
高橋紹運
立花宗茂
島津義弘
島津家久

173: 名無しさん@お腹いっぱい2009/09/01(火) 07:44:10 .net
丹生島城の戦いの大友宗隣は? 
島津に圧倒され滅亡寸前だったが、国崩しという大砲を乱射して 
島津勢を撃退、豊臣秀吉の援軍到着まで生き延びた。

1111: 
過ぎたるは及ばざるが如し1600/10/21(水) 00:00:00.00 ID:rekichiho  





引用元;http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/nanminhis/1176037020/