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1: 人間七七四年 2007/09/03(月) 13:27:05 ID:58NCKI6S
当時の公家としてはめざましい活躍をしている近衛前久について熱く語りましょう!

3: 人間七七四年 2007/09/03(月) 13:49:13 ID:58NCKI6S
徳川の天下が定まっても信長の命日に追悼句会を開き信長を慕っている彼の
信長への思い入れはかなりのものだったようですね。

しかし鷹狩が趣味の家康とはうまくいかなかったのかな?

4: 人間七七四年 2007/09/03(月) 14:10:19 ID:PacSkPui
>>3
家康から見ればもはや前時代の人間でしかないからなあ。秀吉の時代に既に引退したようなものだし。
しかし安部龍太郎の小説ではこの人スーパーマンですな。

234: 人間七七四年 2009/03/31(火) 13:32:11 ID:WgVnYoTE
>>3
いや、近衛前久は公家だけど狩りよくやり、腕よかったらしいよ。
家康は狩のコツを教えてくれ、といっているぐらい。
答えて前久は和歌に狩りのことを折りこんだものを百贈った。

6: 人間七七四年 2007/09/03(月) 15:42:31 ID:1YQPOHso
のぶりんと仲良かったのか?
変の黒幕扱いもされたりするのに

17: 人間七七四年 2007/09/04(火) 20:22:59 ID:QsUHhDrJ
>>6
良かった。ただし、黒幕論者は前久が信長の武田攻めについて行こうとした時に、
「お前なんか木曾から行け」と言われた話を出して、不仲だったとしているが、この話は甲陽軍鑑のもので傍証はない。
実際には、馬揃えには馬選びの段階から非常に張り切って参加しているし、石山本願寺攻めでは自ら軍を率いて織田の陣城を警備している。
さらに本願寺に出向いて和平交渉を行った。顕如が開城を決意した後も子の教如は徹底抗戦を主張していたが、 前久の説得によって和平に同意した。教如はそれ以前に前久の養子になっており、 その後も真宗大谷派(東本願寺)門首の家と近衛家はずっと仲が良い。
信長はこのことを非常に高く評価して、天下統一の後には一国を献上するとまで言ったという。

>>10
元々島津は藤原摂関家の家来の惟宗氏で、近衛家の薩摩・大隈・日向にまたがる
日本最大の荘園・島津荘に下司職として下向して武士となった。
近衛前久は島津の所へ下向したこともあったし、息子の近衛信尹が薩摩に流されたときには島津義久がちゃんと面倒を見ていた。 関が原の戦いでは逃げてきた島津の家臣を匿って家康に島津の本領を安堵するよう交渉している。 このため、近衛と島津の仲は20世紀まで(笑)非常に良かったようだ。

来年の大河の篤姫も、島津の生まれで近衛の養女になった。

7: 人間七七四年 2007/09/03(月) 16:52:14 ID:9FYNCYmf
北越の謙信に関東を任せようとしたのが失敗

8: 人間七七四年 2007/09/03(月) 16:53:17 ID:U0MYgHpL
古今和歌集かなんかやってなかった?

10: 人間七七四年 2007/09/03(月) 21:17:04 ID:rKh6PhAb
島津ゆかりの人だったっけ?
>>8
やってたね、継いでた

13: 人間七七四年 2007/09/04(火) 13:20:56 ID:Rngdektm
名目上は秀吉の父親だぜ。

16: 人間七七四年 2007/09/04(火) 14:35:05 ID:fe5OnljJ
まえひさだよな

18: 人間七七四年 2007/09/04(火) 23:26:15 ID:gG5yD5mH
さ・き・ひ・さ

32: 人間七七四年 2007/09/23(日) 20:42:52 ID:4w9/vyHo
19才で関白かあ。
余生?が長いな。

35: 人間七七四年 2007/10/04(木) 03:59:04 ID:6ob+x6HX
せっせと官位を運んで来てくれるいい奴だぜ

38: 人間七七四年 2007/10/10(水) 23:35:57 ID:FKdbBoMz
馬揃えにも兵を率いて参加してたと聞いたが。

39: 人間七七四年 2007/10/11(木) 03:01:39 ID:od2v9KlU
兵がいるなら所領があるのか?

40: 人間七七四年 2007/10/11(木) 03:13:59 ID:jldLk/if
>>39
貴族はみんな大なり小なり所領持っとる。
だいたい武士自体、地方の所領に土着化した貴族がその出自だ。

41: 人間七七四年 2007/10/12(金) 21:41:39 ID:aU+vNQib
公家目線描く大河ドラマの主人公に最適。

42: 人間七七四年 2007/10/13(土) 14:38:51 ID:UrvVbhdJ
>>41
おっ、いいねえ
敵役も超大物だし

43: 人間七七四年 2007/10/13(土) 22:16:40 ID:hhh91BbU
越後から薩摩まで日本各地の観光誘致にももってこい。
大河ドラマ化に一票でおじゃる。

44: 人間七七四年 2007/10/15(月) 15:50:19 ID:HwGuQyBu
よく考えるとすごい事だね
信長より行動範囲が広いし

46: 人間七七四年 2007/10/23(火) 01:33:20 ID:0mDgTOV7
前久の好き嫌いランキング
◎島津義久(兄弟ともに仲良し。息子も世話になっている)
○織田信長(いわずもがな)
△徳川家康(本能寺の変後、しばらく厄介になった)・上杉謙信(最初に夢を託した)
×豊臣秀吉(コイツにいろんなものを奪われた)

149: 人間七七四年 2008/07/07(月) 13:11:20 ID:+8xvwxJf
流れをぶった切ってスマナイ、最初から読ませてもらった。
>>46
家康△じゃなくて○
松平から徳川へ改姓したとき朝廷への根回しをしたのが前久。
この縁で、本能寺の変後、※信孝が兵を送り捕らえようとしたのを逃れ家康のもとに行き、 信長の追善供養を行った。
(※光秀が二条御所を攻撃した時、隣接している前久の屋敷を使ったため、謀反に関わったのではないかとの疑惑から)

それから信長とは◎か☆
1575年信長は公家・門跡に対し一斉に知行を与えた。(最高で300石)
前久には破格の1500石。
この年、信長の意向を受けて九州へ、相良、島津の和睦斡旋目的。
コレが縁で家久上洛のおり光秀の手厚い歓迎を受ける。

48: 人間七七四年 2007/10/23(火) 15:18:18 ID:Fw5fqlov

島津とは「若衆宿(今のゲ〇バー)に一緒に行ったよね」という手紙を取り交わすくらい仲いいよな
その手紙は不幸にして?国宝になってしまったがw
最も島津との仲はご先祖様からのご縁あったればこそだけど
心底男の友情(誤解を招く表現か?)で結ばれたのは信長だろうな

もっとも謙信にも若衆を世話したこともあり、前久と「アッー」は切れない縁なのか?

53: 人間七七四年 2007/10/30(火) 04:02:06 ID:EqTKf6Rk
晩年なにやってたんだろ?
(´・ω・`)と文通とかならワロスだが

54: 人間七七四年 2007/10/30(火) 23:14:42 ID:kNYRQWH2
それがそのまさかだw

もちろんそればかりではなくて
関ヶ原の後は家康と喧嘩しかかってたらしい
(公家の権限にまでちょっかい出してきたから)

57: 人間七七四年 2007/11/03(土) 21:46:49 ID:9OxoaDfB
前久の倅と孫の「信」は信長の「信」?
孫の方は天皇の息子だよなあ。

58: 人間七七四年 2007/11/04(日) 17:10:12 ID:0OQi5X4C
>>57
せがれはともかく、孫まで行くと関係ないだろ。

60: 人間七七四年 2007/11/08(木) 00:30:56 ID:KFDkEx92
ttp://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-250.html
コメント欄で島津義久に稚児を世話したとか言う話が出てる

上杉謙信に若衆世話したのは有名だし
今は落ちてしまったが島津義弘スレ@日本史板でも一緒に若衆宿に行ったという話が出てたような・・・

・・・前久の兄貴、戦国最凶だぜ!

64: 人間七七四年 2007/11/09(金) 01:59:57 ID:6sGMEDH+
謙信に惚れ込んで下向とか貴族にしては熱い血を持ってたんだよ。

67: 人間七七四年 2007/11/09(金) 22:56:06 ID:rlDDak8j
>>64
でも、結局逃げちゃったし…
しかし、謙信は前久を一体何にしようとしたのか?
関東公方、関東管領?記述まちまちで、いまいちわからない。
朝廷そのものの東国支配の役職といえば、鎮守府将軍か?

74: 人間七七四年 2007/11/25(日) 02:28:06 ID:5C/ZjREV
近衛氏って今も続いてる?

76: 人間七七四年 2007/11/25(日) 08:16:55 ID:YfwsWvo2
細川元首相にも近衛氏の血が入っていますね

79: 人間七七四年 2007/11/27(火) 00:10:53 ID:CIzBMJ1s
ふーみんは近代史板に専用スレがあるからそちらで
こっちはご先祖の前久について語るスレです

ところで、前久の妻妾関係って判明してないのか
この辺の研究で一番詳しい橋本義宣の論文集でも詳しくなかったような・・・

81: 人間七七四年 2007/12/18(火) 17:31:08 ID:d1K8VeVj
>>79
前子も信尹も母は家女房なんだね

82: 人間七七四年 2007/12/18(火) 18:55:24 ID:0BWl94I8
つまり出自不詳か・・・
信尹の唯一の子「太郎君」の母「宣司殿」も出自不詳らしいな
といっても宣司殿は残っている史料から見ると実質正室同然の扱いだったようだが

83: 人間七七四年 2007/12/24(月) 11:39:42 ID:HV8iXfZu
信尹も前子も母親は若狭武田氏のむすめで宝樹院というらしい。
若狭武田といえば秀吉の側室松の丸殿の前夫の武田元明って若狭武田氏じゃなかったっけ?

84: 人間七七四年 2007/12/24(月) 12:12:51 ID:0rZeqZtZ
>>83
yes

近衛前久の姉(か妹)が朝倉義景の正室(但し離婚)だったので
そいうところからの縁かね

86: 人間七七四年 2007/12/28(金) 12:46:04 ID:j9nB/AnQ
>>84
朝倉の縁というよりも、足利将軍家と近衛家との縁によるでは?
近衛前久の父は近衛殖家だが、殖家の妹慶寿院(前久の叔母に当たる)は
将軍足利義晴の正室であった。
足利義晴と正室慶寿院(近衛氏)との間に生まれた娘は、
若狭武田氏当主、武田義統の正室となり、武田元明を産んでいる。
つまり、近衛前久と武田義統夫人はいとこ同士という近い血縁関係にあり、
若狭武田氏の娘が前久のもとへ嫁いだのもこの縁によると思われる。

90: 人間七七四年 2007/12/31(月) 13:35:50 ID:U/n+27iU
武田義統の弟は足利義昭の近臣らしいね
武田信景というらしい
将軍の取り巻きは、いつの時代も有力守護の家族が多いね

98: 人間七七四年 2008/01/11(金) 00:05:47 ID:5ClO2bpH
近衛晴嗣なんだね初名。
足利義晴から貰ったの晴?。
近衛家より足利家のほうが偉かったの?。

99: 人間七七四年 2008/01/11(金) 09:21:32 ID:20uDbZEK
近衛家歴代の偏諱を調べてみろ

108: 人間七七四年 2008/01/29(火) 02:28:34 ID:ai+4iTU0
近衛前久について書かれた小説ではない本を知りたいのですが
何かありますか?

109: 人間七七四年 2008/01/29(火) 04:05:22 ID:xHd9ozBV
>>108
谷口研語『流浪の戦国貴族 近衛前久 天下一統に翻弄された生涯』(中公新書、1994年)
橋本政宣『近世公家社会の研究』(吉川弘文館、2002年)

113: 人間七七四年 2008/02/06(水) 14:33:34 ID:xGCn31t/
戦国公家といえば一条教房もいるけど、前久とは立ち回りが大違い。

117: 人間七七四年 2008/03/09(日) 16:14:38 ID:Zdy9yEk7
どっちかっていうと武士っぽい

119: 人間七七四年 2008/03/22(土) 16:06:24 ID:xicWn5Ai
馬術に優れていたんだっけ?

120: 人間七七四年 2008/03/22(土) 19:19:07 ID:c5pVCWRS
馬術と鷹狩り

123: 人間七七四年 2008/04/07(月) 15:38:26 ID:phuRxcLb
九条稙通は秀吉の関白就任に反対していたんだね

124: 人間七七四年 2008/04/19(土) 21:00:27 ID:h40/Pqlm
摂家なら誰でも反対なんじゃないの?
豊臣家一家で世襲する予定なんだから。

125: 人間七七四年 2008/04/21(月) 15:39:07 ID:TLyevH8J
内心どう思っていたかは別として、近衛さんは猶子にしてるから

126: 人間七七四年 2008/04/28(月) 15:31:21 ID:v4Ts8Eg3
>>125
最初は近衛の猶子の「藤原氏」として関白職を受けたが、藤原のままだと関白職は
五摂家による持ち回りであるため秀吉の血族で独占できず、そこで「新摂家」としての豊臣氏を 創氏した。

127: 人間七七四年 2008/05/09(金) 13:35:27 ID:aCoApoeq
姓な

128: 人間七七四年 2008/05/20(火) 13:34:25 ID:1hS0w+Pk
近衛が何を考えていたかが興味のあるところ。

137: 人間七七四年 2008/07/01(火) 11:23:27 ID:3a5fynGN
なんで近衛晴嗣から名を変えたの?
めうえの貴人から貰った名を簡単に変えてしまってもいいの?
二条晴良や二条昭実から比べると軽薄な人柄だね
武家の例だけど
羽柴秀吉から貰った徳川秀忠でさえ改名していなのに

138: 人間七七四年 2008/07/01(火) 11:25:52 ID:f1JLPO1W
>>137
この時代の、特に京都あたりの人間は、人生の節目だったり、心気一転を考えたりするごとに 改名してる。

143: 人間七七四年 2008/07/05(土) 00:45:32 ID:lFpDSelz
若い頃の近衛は熱しやすく醒めやすいね。
晩年は関ヶ原から逃げ延びた島津兵を匿ったりしていてカッコイイ。

144: 人間七七四年 2008/07/06(日) 15:27:25 ID:rNjrMVQu
>>143
だいたい島津は近衛の家来なんだから
島津の罪は近衛の責任
島津の手柄は近衛の手柄
島津の領地は近衛の領地

186: 人間七七四年 2008/10/03(金) 14:44:50 ID:lPwGfVtd
なかなか開明的な人だよね

190: 人間七七四年 2008/11/18(火) 13:14:20 ID:rSEDC+ye
北は越後から南は薩摩までって、同時代にこれだけ移動した人いないよね
商人ぐらいか

192: 人間七七四年 2008/11/18(火) 16:25:37 ID:5sECOe/D
それをいったら西国の大名の大半は朝鮮半と(ry
加藤清正とか今のシベリア辺りまで(ry

193: 人間七七四年 2008/11/18(火) 17:54:54 ID:vu+4blV7
伊達政宗なんかも、東北から九州朝鮮半島まで。

まあ、南北朝の頃とかもっとダイナミックに移動しているけどな、大名も将軍も。

194: 人間七七四年 2008/11/25(火) 01:13:16 ID:XbDE+kCF
>>193
南朝方の親王たちの流転ぶりもすごいからね。

196: 人間七七四年 2008/12/03(水) 14:39:24 ID:TCpazuac
成る程、いろいろな例があるんですね

199: 人間七七四年 2008/12/27(土) 14:58:32 ID:ypSW9B7X
現職の関白で前久ほど長く京都にいなかったひともいないんだろうね。

200: 人間七七四年 2009/01/08(木) 15:16:15 ID:DieASzIH
一条房通とか下向した人はいるけどね

204: 人間七七四年 2009/01/15(木) 03:37:42 ID:jzSChMPm
安祥城のある志貴荘は、近衛家(藤原北家)の荘園だったので、
安城松平家(徳川本家)とつながりがある。

家康は、それを利用した。

205: 人間七七四年 2009/01/15(木) 13:04:10 ID:uDwgQNq8
三河守叙任は三河支配の正当性を確立するためには、どうしたって必要だからな。
そりゃ利用もするわな。

211: 人間七七四年 2009/02/04(水) 01:04:13 ID:tfWp4tOk
戦国期は守護も官位も超重要。
戦国大名といえども合法性の衣をまとわねば、のたれ死ぬ。

216: 人間七七四年 2009/02/06(金) 09:56:27 ID:31PYDRD3
前久が諸国漫遊していたから、
二代後は親王を迎えるハメになったのだろうか?

217: 人間七七四年 2009/02/06(金) 10:06:56 ID:qkBXnkng
前久は諸国奔走してお忙氏のわりには子供は4,5人いたんじゃなかったかな。
男子も後を嗣いだ信尹の他、上に興福寺一条院の門主となった長男がいたはず。

つまり信尹が頑張らなかったから・・・w

218: 人間七七四年 2009/02/17(火) 15:14:35 ID:VlZpSISR
血は断絶してんだよね。

219: 人間七七四年 2009/02/17(火) 15:30:57 ID:e/bOhjXf
女系では今までつながってるけどね

前久の子孫で一番有名人なのは今の天皇ご一家
前久→前子→後水尾天皇-(以下略)-今上天皇

235: 人間七七四年 2009/03/31(火) 14:28:32 ID:zYeTYuVu
お歯黒しておじゃるおじゃると馬に乗る関白って想像できないね。

236: 人間七七四年 2009/03/31(火) 20:28:45 ID:c3kdr99g
>>235
馬術が好きだった関白というのもいたらしい。
二条良基が父・道平の乗馬好きについて書いている(「嵯峨野物語」)。

268: 人間七七四年 2009/06/13(土) 11:27:47 ID:QjYTnCzF
調べれば調べるほど、唸らされる
前久は凄まじく能吏で教養に溢れ
一方で豪胆で行動力のあった男なんだな
余裕で大河の主人公になれるわ、後は優秀な原作か…

269: 人間七七四年 2009/06/17(水) 00:03:31 ID:Zn7CQX8a
平気で足利家から貰った名を捨てるようなやつが?
二条家により朝廷を追われたやつが?
お調子者は大河の主人公はむりだよ。

273: 人間七七四年 2009/06/27(土) 15:46:00 ID:WpWwXdsN
公家が足利から貰うという発想が面白い

294: 人間七七四年 2009/08/01(土) 17:24:19 ID:vsXyI7yI
近衛前久って足利義輝や足利義昭と仲が悪かったんだね。
義惟、義栄派だったんだろうな。
きっと

295: 人間七七四年 2009/08/01(土) 17:34:54 ID:g9fnneno
義昭はともかく、義輝とは別に仲悪くは無いわな。
前久が越後に行ったのも義輝の代理という側面がある。

296: 人間七七四年 2009/08/01(土) 20:49:51 ID:kM50WMjT
親戚だし、個人的にも二人で一緒に酒飲んで騒いでるのに仲が悪いはずがないでしょ。

298: 人間七七四年 2009/08/02(日) 08:31:20 ID:5vD6a4Ve
義輝とは既に書かれてあるように緊密な関係だった。義兄弟であり、同志であり、友人だった。

義栄との関係は不明。
彼を将軍にするよう動いたのが関白殿下。

義昭とは険悪だった。
「兄の仇に従って義栄を擁立するとは何事だ!」と追放されている。

299: 人間七七四年 2009/08/03(月) 10:10:19 ID:CFcwz+2d
>>298
義栄を近衛前久は擁立したんだね。
織田派じゃなくて三好派だったんだね最初は。

302: 人間七七四年 2009/08/04(火) 04:38:58 ID:XuqmcL/q
>>299
義栄擁立には関わっていないとの異説もあるけどね。

300: 人間七七四年 2009/08/03(月) 10:48:21 ID:iH9wCiXy
そりゃあ織田が機内の勢力として定着できるなんて、当時誰も思ってないからな。

316: 人間七七四年 2009/09/30(水) 15:37:53 ID:4DM9zuCd
薩摩から越後までか

317: 人間七七四年 2009/10/09(金) 15:30:44 ID:SiAxJwNJ
移動は専ら船なんでしょ

319: 人間七七四年 2009/10/14(水) 14:55:41 ID:S/sfC/vf
結構歩くよね
馬かもしれないが

348: 人間七七四年 2011/02/02(水) 18:21:15 ID:bCW33IgX
謙信と組んで関東平定に関わったり、馬術や鷹狩りに秀でていたり、
個人的にはけっこう精悍なイメージがある

349: 人間七七四年 2011/02/03(木) 14:17:34 ID:3LEQfAy8
公家にしては武将みたいなことができた
って感じでちょっと無理してるイメージがあるんだよな。
あれだけ動き回ってるからヘタな武将以上に精悍だったかも
しれないが。

315: 人間七七四年2009/09/24(木) 15:34:05 ID:feklRCbA
行動力は凄いですな

1111: 過ぎたるは及ばざるが如し1600/10/21(水) 00:00:00.00 ID:rekichiho  




引用元;
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1188793625/