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1: 人間七七四年 2006/06/14(水) 14:40:30 ID:wDwE/i4U
家臣によって城を追われた無能者。何度も奪還をこころみるも
結局返り咲くことが出来なかった敗北者。

誰か適当に語ってくれ。

4: 人間七七四年 2006/06/14(水) 20:03:02 ID:D2ehdacO
能登かわいいよ能登

6: 人間七七四年 2006/06/15(木) 02:43:36 ID:IgTwT+SJ
二本松の人だっけ?
息子が伊達輝宗拉致事件起こして殺された人?

8: 人間七七四年 2006/06/15(木) 19:52:17 ID:hetImGf9
>>6
能登畠山家の最期の当主だと思う
重臣の傀儡を嫌がって抵抗したら逆に追放された人

12: 人間七七四年 2006/06/17(土) 15:17:32 ID:jupOda8x
チョウ ゾクレン&モーレンとかいう異人父子がのさばる家は、ここですか?

13: 人間七七四年 2006/06/20(火) 21:56:34 ID:nlCxe46N
畠山家臣は癖者揃い
末期は完全に家臣に乗っ取られてた

14: 人間七七四年 2006/06/21(水) 22:11:38 ID:T8kvoZAc
上条政繁はがんばったよね

17: 人間七七四年 2006/06/30(金) 23:21:00 ID:M67r3eUn
>>14
よく出来た弟だよな
あまりに出来が良すぎてマジで忘れてた

15: 人間七七四年 2006/06/24(土) 22:23:35 ID:RRkh3DAO
一条兼定と被る

16: 人間七七四年 2006/06/30(金) 22:54:43 ID:M4dBxHLD
もっと酷いと思う

18: 人間七七四年 2006/07/08(土) 02:41:21 ID:xq/lO9hs
畠山 義綱(はたけやま よしつな、生年不詳 - 文禄2年12月21日(1593年2月11日))は能登の戦国大名畠山氏当主。畠山義続の嫡男で、妻は六角義賢の娘。

幼名次郎。修理大夫を受領。能登守護・七尾城城主。義胤。出家後は徳栄と名乗る。 1551年(天文21年)、父義続に家督を譲られ継承。義続の後見を受けて傀儡化した大名権力の復興を目指す。
1555年に重臣たちが大名権力を奪った「畠山七人衆」を崩壊させるため、家中で随一の勢力を誇る温井総貞を暗殺し、同年から始まった弘治の内乱を経て大名専制支配を確立した。
このため、能登畠山家では1560年から1566年までは政権が非常に安定していた。しかし、大名専制に反発した家臣が1566年に永禄九年の政変を起こし、義綱と父・義続は追放され、近江に逃亡した。

追放された義綱は、近江で妻の実家の六角氏の援助を受け、復権を試みる。
そして1568年、上杉謙信や神保長職と共同して能登に攻め込んだが、失敗し敗退した。
結局復権することは叶わず1593年12月21日、近江国伊香郡の余吾浦で波乱の生涯に幕を降ろした。法名は興禅院華岳徳栄居士。

ちなみに義綱の二人の息子(義慶・義隆)も、傀儡として重臣たちに擁立され、そのうえ父より早くこの世を去るという悲哀を味わっている。

23: 人間七七四年 2006/07/11(火) 07:51:42 ID:h4iA8ZDl
上条政繁は謙信の養子になったあと、信州の政で揉めたけどその後に畠山姓に戻ったんだっけ?

24: 人間七七四年 2006/07/11(火) 16:26:06 ID:4dpuw5or
政繁・・・上杉を出奔、関ヶ原後畠山に復す
長男景広・・・上杉に仕え続け子孫は畠山に
次男長員・・・上杉を名乗り幕府の高家に
三男義真・・・旗本畠山に

25: 人間七七四年 2006/07/19(水) 19:43:00 ID:kmd/Tkpd
完全に家臣に握られていた大名権力を一瞬だけ復興させた人

26: 人間七七四年 2006/07/20(木) 15:43:29 ID:9OYjOJEo
一生懸命あっちこっちと泳いではいるんだけどね

遊佐加賀に退去→能登侵入した遊佐を破る→温井加賀退去
→遊佐復帰→温井と合戦、最終的には勝つ
→遊佐、長らに追われる

真の味方がいないなあ

27: 人間七七四年 2006/07/28(金) 17:36:54 ID:XmsMv43/
30年の安定した治世を築いた7代当主畠山義総でさえも、守護代を通じた間接支配体制であった。
義綱専制時代は能登畠山氏の治世170年間の中で唯一強力な大名直接支配体制を実現した期間であった。その意味でも畠山義綱の行動と功績はもっと評価されていいだろう。

28: 人間七七四年 2006/07/29(土) 10:58:11 ID:p0q+4TVT
その期間は何年ぐらいなの?

29: 人間七七四年 2006/08/01(火) 15:16:22 ID:PepjP9zi
永禄三年~永禄九年ぐらいじゃないかな

32: 人間七七四年 2006/08/11(金) 16:18:46 ID:1aTlNDhh
この権力の所在がねじくれた感じがたまらん
能登かわいいよ能登

33: 人間七七四年 2006/08/11(金) 16:27:50 ID:nnFNLocG
ネームバリューだけはいっちょまえの、畠山さん

越前・尾張の斯波さんは同等もしくはもっと名門だから、家臣、国人の考え方の考え方の違いかな

34: 人間七七四年 2006/08/18(金) 16:11:42 ID:NpIkDzPc
河内と能登
両方の守護代は遊佐氏ぐらいかな?

36: 人間七七四年 2006/08/29(火) 13:25:58 ID:eoGtQWJg
能登畠山氏の在国って、文明六年(1474)から
滅亡まで約百年

39: 人間七七四年 2006/09/08(金) 05:32:40 ID:tMbnsCgp
>>36
名君畠山満慶の代だからそれより70年前だろ

37: 人間七七四年 2006/09/01(金) 00:20:57 ID:jJwJxkQ3
工房の頃に三管領(細川、斯波、畠山)四職(京極、山名、赤松、一色)
って習ったっけ。

戦国時代では揃って負け組だがw
勝ち組は和泉細川(幽斎、忠興)だけか。

40: 人間七七四年 2006/09/09(土) 14:19:52 ID:0wDa9DoC
満慶は確かに、兄の満家に家督と紀伊、越中、河内の守護を譲り、
能登一国の守護のみになった人物ですね

ただ、応永十七年~応永十九年、応永二十八年~永享元年の二度、約十年間管領をつとめるほどの人物でうから
在国はしていないでしょう

42: 人間七七四年 2006/12/21(木) 14:12:31 ID:C6DVSwIZ
畠山義元は京から落ちていた、義材将軍を神保、朝倉とともに庇護し、
義尹と大内義興上洛後は、京で将軍側近として仕えた
京での活躍はこれが最後かな

44: 人間七七四年 2007/01/02(火) 10:18:21 ID:5bNQmXLb
祖父・義総の時に義続を管領畠山家に入嗣させる機会があったらしいね。
これが実現していれば、畠山家が統一され面白い展開もあっただろうに。

52: 人間七七四年 2007/04/27(金) 11:35:11 ID:peIHCS8N
>>44
義総は神保や一向一揆との戦いに明け暮れた人物
義続の宗家相続は義総の死で白紙になったのかな

45: 人間七七四年 2007/02/10(土) 08:23:51 ID:yGbDfRte
能登畠山家は誰が当主か分からないほど、権力構造が複雑だな。
関東軍並みに実質的下克上が起きてるし。

46: 人間七七四年 2007/02/16(金) 10:06:55 ID:y5Zf/MVW
ドロドロとした人間関係があるイメージ

47: 人間七七四年 2007/03/08(木) 13:41:19 ID:6i6MjiL9
遊佐とか温井とか宗家にも能登にもいる一族が いつも争っているイメージ
長は能登しかいないけど

48: 人間七七四年 2007/03/29(木) 20:25:40 ID:BPXv4s+H
家臣団、見事に分裂w

長氏:織田家
遊佐氏:上杉家
温井氏:一向一揆

49: 人間七七四年 2007/04/03(火) 06:53:05 ID:dZQ75gSl
で、結局「畠山七人衆」って誰がメンバーなんだよ
モー娘。みたいに追加・卒業・代替わりとかあったの?

50: 人間七七四年 2007/04/04(水) 10:13:21 ID:cbg5soKx
七人衆はわからないが
遊佐、神保、平、誉田が四臣
温井、三宅、甲斐庄、伊丹が四家、ここまでで合わせて八臣
これに次ぐ、昵近衆(御屋形衆とも)が天野、松波、河野、神保、三宅、笠松、士田、得田、誉田
と手持ちのある本には書いてあった

八臣と昵近衆に重複がみられるけれども

51: 人間七七四年 2007/04/04(水) 13:03:22 ID:cbg5soKx
おっと義続から義綱の頃の七人の重臣のことなら、

温井総貞、長続連、三宅総広、平総知、伊丹続堅、遊佐宗円、遊佐続光になってます
同じ本で

53: 人間七七四年 2007/05/18(金) 14:16:55 ID:RKsBLI8T
やはり神保の自立が能登畠山にとって最大の痛手
応仁の乱での宗家分裂のせいなんだけどね

60: 人間七七四年 2007/05/21(月) 14:36:35 ID:bhb8o2gg
>>53
越中神保は宗家被官だから、基本的に能登畠山とは関わらないんじゃ?

54: 人間七七四年 2007/05/19(土) 12:00:42 ID:NB8Iiw5u
長連龍もここで語るの?

64: 人間七七四年 2007/07/17(火) 04:11:12 ID:sLZBSMg4
前田家に残った長氏は客分として、高禄を占めてたらしいね。

65: 人間七七四年 2007/07/18(水) 13:48:14 ID:nxiKYl/E
ながうじ じゃなく ちょうし か
三万三千石だね

79: 人間七七四年 2007/09/03(月) 22:48:43 ID:rNdFqjz5
七尾城の収容能力以上の人員抱えちゃって屎尿処理の不手際から細菌が蔓延して死亡したのはこの人か?

80: 人間七七四年 2007/09/03(月) 23:20:46 ID:tv+Ikwxu

81: 人間七七四年 2007/09/04(火) 01:14:05 ID:N+hTht5V
三管領(細川、斯波、畠山)四職(京極、山名、赤松、一色) 国司三家(姉小路、一条、北畠)

戦国乱世で朽ちていった名家達・・・

85: 人間七七四年 2007/11/02(金) 16:22:14 ID:UcT+vv+M
上条政繁は義綱の弟なんだね。
でもって子孫は幕府の高家が2家(3120石と1490石)と上杉家臣(250石)。

87: 人間七七四年 2007/11/03(土) 23:09:04 ID:fhdA+i62
>>85
謙信の人質→謙信の養子→上条家の養子→後に出奔して畠山に復姓、って流れかな?
実に波瀾万丈な人生だな。

86: 人間七七四年 2007/11/03(土) 14:43:31 ID:GltqNR0U
畠山氏は足利一門の名家であり、上杉家と同じく
足利将軍家・鎌倉公方家に娘を嫁がせている
上杉の名跡を継ぐ資格はある。

89: 人間七七四年 2007/12/06(木) 13:56:46 ID:/O14sZUU
>>86
幕府の管領(宗家はだけど)と関東の管領だから、どちらかというと畠山の方が上かな

104: 人間七七四年 2007/12/28(金) 07:50:51 ID:eef6GvS9
畠山七人衆はガチ最強.

105: 人間七七四年 2007/12/28(金) 11:17:31 ID:uaFvccNT
七家が同じ方角を向いていたならね・・・

106: 人間七七四年 2007/12/28(金) 12:14:31 ID:5J8gGs+r
7人しかいないのに3パターンくらい考え方があるからな

107: 人間七七四年 2008/01/16(水) 16:36:57 ID:tPJvcOJW
温井総貞 長続連 三宅総広 平総知 伊丹続堅 遊佐宗円 遊佐続光か.。

108: 人間七七四年 2008/01/17(木) 04:35:50 ID:HFRi4HHU
とんでもねぇ奸臣ばかりのクセにみんな主君の偏諱を使っているところが泣かせるw

親織田派・親本願寺派・親上杉派。
本願寺派の連中はやはり一向門徒だったのだろうか。
能登畠山氏は比較的後半は一向宗に好意的なのか。協力関係になってるよな。
本願寺と婚姻関係もあるみたいだし。家臣に一向門徒も結構いるのかね。
ま、お互いに織田家に対して「敵の敵」という感覚なのかもしれんが。
長家家譜によれば上杉家が侵攻してきた時も七尾の要請で能登国内の一向宗が上杉勢に襲いかかってるしな。

ところで、平尭知って前田家が入府後、遊佐やら温井と一緒に逐電したらしいが。
越後に逃れたという説もあるみたいだけど。
羽咋で江戸時代に大庄屋をやっていた平氏は何者?
越後に逃げたなら平尭知の子孫ではないのか。
まぁ一族は当然たくさんいただろうからそのうちのひとつなのかね。あの豪農は。

126: 人間七七四年 2008/07/22(火) 18:32:21 ID:dC/vg9eZ
義綱一人だけ見ても地味だけど
家中全体を見てみるととたんに面白くなるね
ということでage

義綱の方は時代に見合った君主専制、
七人衆の方は合議制ということらしいけど
それぞれどんな意図や展望があったんだろう

127: 人間七七四年 2008/08/09(土) 15:15:58 ID:2hr+2Rs+
義綱の願望は領主権の確立だろな。

139: 人間七七四年 2008/09/27(土) 10:56:56 ID:rX1EJtgH
長氏の末裔が沖縄戦の長勇参謀長なんだよな?

140: 人間七七四年 2008/09/27(土) 13:26:35 ID:2rV+hiuN
みたいね。大久保を暗殺した長連豪の方が長氏っぽい名前だけど

141: 人間七七四年 2008/09/27(土) 18:56:47 ID:rX1EJtgH
>>140そうだね。長氏の子孫は何気にその後も歴史の舞台に登場するんだな。
自分だけ沖縄から脱出しようとした八原参謀に比べれば、長勇参謀長は武人の末裔らしい最期だったのかな。

145: 人間七七四年 2008/11/05(水) 14:57:57 ID:ODERcfc0
なんかすっかり近代の話になちゃったね。

146: 人間七七四年 2008/11/22(土) 14:31:20 ID:/HuUjrDj
この家は完全に滅亡したんだっけ?

147: 人間七七四年 2008/11/23(日) 11:03:15 ID:4ob5vT2A
幕府高家旗本として残った

148: 人間七七四年 2008/12/01(月) 15:38:32 ID:SfUz80Qk
>>147
上杉謙信の養子になってた上条政繁の系統だっけ?

149: 人間七七四年 2008/12/11(木) 10:39:48 ID:aw1QeX+9
義綱の弟で謙信の養子になった上条政繁の血筋とも
七尾落城後謙信に引き取られ謙信死後血縁の政繁の養子となった
畠山誰かさんの遺児(義春。春王丸の弟?春王丸本人という説も)の血筋とも。
謙信の北条景広宛書状に「畠山未亡人と結婚しませんか?息子は私が養子にします」と。
政繁と義春が混同されているためどっちがどっちやら。

150: 人間七七四年 2008/12/11(木) 12:40:51 ID:pNWg9+bV
まったくだ、義春=政繁だと超長寿になる

152: 人間七七四年 2008/12/28(日) 02:07:16 ID:+Sg/7Pwo
政繁が直江兼続を奉行として差し置いてほしいと要求したのを
景勝が断った際、ねばる政繁について、「五郎殿」なる人物に
政繁を説得するよう頼んでるが、此の人が義春(謙信が能登から
連れ帰った畠山氏)らしい

153: 人間七七四年 2009/01/03(土) 04:01:09 ID:Ib27/0TL
謙信が七尾から連れ帰った畠山の子(=義春?)は
謙信が「義高息子」と言っているので
素直に春王丸の弟と見るべきだと思う。
景勝の姉(妹?)を妻にしたのは政繁で、
義春は政繁の養子、
兄弟とされる畠山景広、上条長員、畠山義真は
政繁の子と義春の子が混ざってるんじゃないか?

155: 人間七七四年 2009/01/12(月) 23:38:37 ID:0UJQuq/G
最新のウィキだと政繁は畠山出身の上条後継、
謙信とは縁組なし。
畠山義春は謙信養子を経て上条政繁養子となってるみたいだね。

156: 人間七七四年 2009/01/13(火) 15:18:04 ID:/b+mKlTE
義春が七尾から連れ帰った畠山の子とすると
やっぱり景勝妹とはかなり年齢差がある事になると思うんだけど。
景勝妹(次姉という説も)と結婚したのは上条政繁じゃね。

157: 人間七七四年 2009/01/15(木) 11:23:57 ID:1DTupkxm
しかし安土桃山~江戸前期の人なのに、ここまで人物混同が激しい人も珍しい

158: 人間七七四年 2009/01/15(木) 12:16:11 ID:xTAEpp6s
政繁の没年は97歳なんだっけ?
これも親子二代が混同されてるとか、そんなオチだったりするんだろうか?

159: 人間七七四年 2009/01/17(土) 13:15:40 ID:ZybphcdS
ちなみに畠山は、名門守護なのに歴代の正室も不明なんだよな

162: 人間七七四年 2009/02/10(火) 20:44:12 ID:uETbRdmj
高家として残った分、赤松よりはマシかもな

>>159
そう、名門なのに婚姻関係の記録も無く、さびしい

160: 人間七七四年 2009/02/03(火) 14:52:42 ID:FjuHZiaQ
宗家が没落しちゃったから

161: 人間七七四年 2009/02/10(火) 11:05:10 ID:NiwxS0z7
宗家のgdgdっぷりは異常
斯波ほどあっさり消えてったわけでも
細川ほど派手に暴れたわけでもないし
明応の政変が痛かったかな

169: 人間七七四年 2009/04/16(木) 14:19:35 ID:wfbkT2+9
高家になれて良かったな

172: 人間七七四年 2009/05/26(火) 15:24:32 ID:xA2XVwDe
家臣であった神保の方が売れてるかも。